（一）

　いつの間にか全国に定着したと思われた恵方巻が、結局は地方色を抜け出せずに、大量に廃棄される頃…。乾燥した関東の空気の中で、駅から離れている、古い一戸建てが多い住宅街の夜の雰囲気は、人気がなく寒々としているようであった。

　そんな路地の街灯は、駅前の数とは異なり、多少減ってはいるが、それほど暗いという印象はうけなかった。しかし明るい昼間の自然とはかけ離れた都会の夜になれた人々に取っては、暗さによって、体感の寒さを増すような感覚を持った。

　池脇実は駅前のコンビニエンスストアを出た。暖房が効いた店内から出ると、切るような寒さが身に染みることを実感した。改めて冬という感覚を覚える。それに耐えられなくなり、首に巻きつけたマフラーを、今一度皮膚に密着させてしのごうとした。毛糸の手袋をした手元には、購入したばかりの常温でも一二時間は有に持つ保存効果のある保存料ではない物が使用されている弁当が、ぶら下がるようにして宙へと浮いていた。

　温めてもらった弁当もこんなに寒かったら冷めてしまうかもしれない。そう思うと自宅へ着いたら、今一度温めようと考えながら、戸建の家へと向かって歩きはじめた。

　自宅は、駅からそれほど遠くないコンビニエンスストアから、更に歩いて一〇分程度である。二〇時を過ぎたこの時間は、古い住宅街へと向かう人は少ない。高齢になった両親が住むが、子供たちは働きに出てこの辺りに住んでいるという事もあり人が少ないことが証明できる。

途中まで同じ方面に向かう人も、ちらほらと減っていく。ましてやコンビニエンスストアへと寄っている間に、同じ電車を利用していた人たちのほとんどが、いなくなっているに等しかった。

　駅から五分くらい離れている大通り沿いの駐車場にワンボックスカーは停まっていた。その中で、住宅街へと向かう一人の女が視界に入った。

「あの女かな」

　後部座席から身体を乗り出すようにして中森猛は、少し距離のある前方を歩いている女の姿を目に留め、今までの車内の沈黙をやぶるように言った。

　猛は自らの中で緊張ではなく、高揚感を味わっていた。それを思うと真剣な表情になってしまう。しかし口元が少しだけ緩むことも事実である。

　運転席に座る佐久間徳夫は猛の言葉に反応するように、ハンドルに手をかけて、前傾する姿勢を取り女の姿を確認した。そして携帯電話を取り出し、画面に映る女の画像を確認する。

　全身が映っている訳ではないが、その画像の顔を拡大して、今一度視界の外へと向かっている女と見比べる。

　少しマフラーを口元あたりにかけているので、目や髪などのパーツで判断しなければならず、徳夫は一瞬迷ってしまった。

「歳は同じくらいだけど、ちょっと違うかな」

　しかし徳夫は凝視する中で、やはり違うと今まで何度も見た顔を思い出すように確信した。

「何だよ。パネマジでわからないとかじゃないよな」

　探している女と異なることがわかった猛は、高揚感から身を解放して、乗り出していた身体を後部座席へと預けるようにして、深く座りなおした。それを窮屈に思ったのか、少し腰をヅルヅルと前方へと押し出し、だらしない格好で座り、弛緩した。

「パネマジかどうかなんて、実際に見てみないとわからないからな」

「何だよ、そんなもんかよ」

　猛が逸る気持ちを抑えきれずに、苛々を徳夫にぶつけるようにして悪態をついた。

「確かに最近の加工はわかりにくいからな。でも今の女は違ったんだろう」

　助手席で二人のやり取りを、携帯電話をいじりながら耳に入れていた張本由人が、画面から視線を離さずにポツリと言った。

「ああ、今の女は絶対に違うな」

　徳夫が自信を持って答える。

「そういえば前回の女はマジで写真と違ったから驚いたけどな」

　猛が一月の事を思い出すように、再び前部座席に乗り出すようにして言った。

「最近は携帯でも加工ができるようになっているからな。それほど嘘が情報として世界に発信されているという事だろう」

　猛の言葉に淡々と由人は答えた。嘘とは言うが、今の社会ではそんなものは当たり前になっている。嘘から出た真という感じを世界が知らずに感じ取っているネット社会は由人からしたら仕方がないものと思えた。

「それにしても体系まで加工しているってありえねえだろう。マジでパネルマジックってとこだな」

　猛は再び一月の女を思い出した。徳夫はその時に、顔も体系も好みではないと言いながらも何だかんだと一番盛んになって楽しんだのが猛であった事を、呆れるような感覚で思い出した。

自分はそこまで好みと外れているとは思わなかったので、それなりに楽しんだのだが…。結局は、画像で見る物とあまりにも違う現実があるということは、由人の感覚と同じように、今の技術では当たり前だと思うしかなかった。

　昔は写真屋がキャバクラや風俗の女の写真を技術力を使い加工していた。そこから実物と違うなどという話しがあり、パネルマジックという言葉が生まれた。見合い写真にも一部あったようであるが…。技術の進歩は、そんな写真屋の仕事を奪い、簡単にパソコンや携帯電話でできる時代になってしまったのだ。それを考えると、進歩というものは、素晴らしくもあり、恐ろしいとも思えてしまう。

「できるようになったんだから、仕方がないだろう」

　由人は変わらず携帯電話から視線を動かさずに言った。このような時に由人は本当に冷めたような表情を見せる。猛にはわからないのだろうが、普段の由人はそんな能面ではない。由人は何となく演じているのかもしれないが、それが徳夫に違和感を覚えさせる。

「まあ加工していても、していなくても、どちらにせよ、いい女なら問題はないんだけどな」

　猛は由人の仕方がないという言葉に反応するように言った。

車の時計が二〇時半に近づいてきていた頃であった。

「そろそろ来ると思うんだけどな」

　徳夫は車外を警戒するように見た。確かＳＮＳの情報を見ている限りでは、このくらいの時間に帰ってくる事が多いはずであった。池脇実のＳＮＳなどにおける投稿は天候などの悪い時が多いので、それを考慮すると、だいたいの帰宅時間を割り出すことができた。

　つい先日などは

「やっと地元の駅に到着。雪が降っているので、電車が遅れていました」　

　そんな投稿がなされていた。その日の日時や遅れている電車などを調べると、居住地域がわかってしまう。もっと特定をしたのは、駅名などが何となく出ていることもあったりしていた投稿を見つけたからである。そんなこんなとしているうちに、池脇の自宅までも調べることができた。絶対にこの道を通って帰るはずである。徳夫は再び携帯電話の画面の池脇実の顔を確認した。

　そんな時に一人の女が前方の大通りを歩いてきた。

「あれか」

　猛が再び乗り出すようにして前方を見た。数回投稿している写真と同じような服装である。それを考えると気に入っている服なのであろうと推測してしまう。

「多分そうだな」

　マフラーをしているが顔ははっきりと確認できた。画面の顔とそう違って見えることはなかった。徳夫は嬉しそうな表情を見せた。

　猛が画面を見て、この女ならと想像して顔を綻ばせた。

「いけるか」

　由人の言葉であった。未だに由人は携帯電話を見ている。

「今回は当たりだな」

　そんな事をいいながらいやらしい笑いを浮かべている猛の顔を、徳夫はやはり好きではないと感じていた。自分にも男としての欲望はあるし、思いは同じかもしれない。しかし表情に出すのと出さないのでは大違いであると徳夫は思った。

「夕方に宅配がきたのは見ているんだよな」

　由人がやっと携帯電話から視線を離して、徳夫に確認をする。

「ああ、ご丁寧に昨日の投稿に、今日届くって書いてあったし、今帰ってくるくらいだから、再配達でも連絡するんじゃないか」

「じゃあそこが狙い目だな」

　池脇実の姿はもうワンボックスカーから見える位置にはなかった。

「ここから歩いて五分くらいかな」

「ああ、その程度だ」

「じゃあ行くか」

　由人の合図で三人はワンボックスカーを降りた。さびれ始めた古い住宅街の周囲に人影はなかった。

「いい感じの女だったから楽しみだな」

　猛が逸る気持ちを抑えられずに口走った。それを由人が諭す。しかし言葉ではなく携帯電話の画面に文言として見せるというやり方であった。猛は、わかったという用に一度頷いた。

　家の位置を事前に確認している徳夫を先頭にして、三人は歩いていった。

　池脇実は自宅へ帰ると、コートを脱いだ。だが家の中とはいえ、二月の暖房のついていない部屋はまだ寒かった。それを肌で感じ取り、エアコンをすぐにつけた。その後、郵便受けにあった宅配便の不在伝票へと電話をかけはじめた。

「はい、もう自宅にいますので

　ええ、それほどかからずにいらっしゃいますか。よろしくお願いいたします」

　再配達の簡単な電話を終えて弁当を確認すると、やはりコンビニエンスストアで買った弁当は少し冷めている気がしてならなかった。そして電子レンジへと弁当を入れて温めはじめた。電気の振動が金属の箱の中で飛び交いはじめた。

　男三人は、駐車場からしばらく歩いたのちに目的の池脇実の家を視野に入れた。居間であろうか、一階の電気がついている事が確認できる。先ほどの女が、池脇実が自宅へと帰っていることがそれによって確認できる。

　家の中には池脇実一人のはずである。それは少し前のＳＮＳの調べにおいて、両親が旅行に出かけるという投稿を見たからである。丁寧にそんな事を書いてくれるという事は、由人たちからしてみれば、大変に都合が良かった。

　長く外にいることは良いことではない。時間帯からして人通りの少ない場所であるとはいえ、実際には何が起こるかわからない。速やかに計画を実行することが良いと思われた。　

　由人は門を開けて玄関へと向かう。猛もそれに続く。徳夫はその場へと残り、二人が玄関の前に着いたのを見てから門の横にあるインターホンを押した。

「はい」

　明るい声であった。ＳＮＳ投稿の写真から想像できるような女の声である。

「宅急便です」

　徳夫がいかにも取り繕ったような声でインターホンに問いかけた。

「あっ、先ほどの…今開けます」

　雰囲気で池脇実が居間から玄関へと移動している感じがわかる。玄関に灯りがつくと、それは確信へと変わった。身構える由人と猛に緊張感が走る。徳夫も辺りに人影がない事を確認して、玄関口へと動く。

「ガチャ」

　玄関が開けられた瞬間であった。由人が素早く扉の横からすり抜けるようにして、滑り込み、池脇実の口を塞いだ。続くようにして猛、徳夫の順で玄関へと入った。その時に鍵をかけることを徳夫は忘れなかった。女の表情が恐怖に怯えているようなものへと瞬時に変わった。その表情に向かって由人は詰め寄った。

「いいか、黙って俺たちのいう事を聞け…。さもないと大変なことになるぞ」

　重たい由人の口調は、池脇実を更に恐怖に落とした。緊張からか、唾を飲み込む喉の音が聞こえた。目の力を強くして由人は更に脅迫する。池脇実はそれに対して首を縦に振ることしかできなかった。

「お前の部屋に行ってもらおう」

　従うしかなかった。恐怖が行動を遅くしているようにも思えるが、ゆっくりと二階へと向かい、池脇実は口を押さえられたまま階段を登りはじめた。その二人に続くように猛が追う。

　徳夫は玄関の鍵を今一度確認してから電気を消し、居間へと向かった。温められた弁当が入っているレンジは、もう動いてはいなかった。居間の電気を消して徳夫は二階を目指した。

　池脇実の部屋へ入ると、そこにはＳＮＳで投稿されていたために、少しだけ見覚えのある光景が広がっていた。

　猛が上着のポケットから出したタオルで女の口を塞いでいる。そんな二人の視線に曝された池脇実は、後ずさりをするしかできなかった。これから何が起きるかなど想像できるものではなかった。いや想像はできていたのかもしれない。だたこれが夢であって欲しいと思うしかなかった。

「黙っていればすぐに済むから」　

　そう言って、上着を脱ぎながら猛が女に近づく。女は更に下がるが、その時にベッドへと引っかかりそのまま後ろに倒れた。灯りがついていない三人がいる部屋の中へと徳夫は入り込んだ。小さな部屋に四人が入ることによって、更に圧迫感が増す。池脇実は自らの部屋でありながらも、いつもの部屋と異なる感覚を覚えた。それと共に狭くなった部屋とは対照的に恐怖が広がってくる。

　そんな池脇実に、猛が覆いかぶさった。タオルで塞がれた口が何かを言おうとしているが、それはうめき声にこそなるが、人間が発するような声にはならなかった。

　そんな光景を見ながら徳夫は、次は自分だと、ばかりに上着を脱ぎ始めた。由人は猛の必死に襲う姿を徳夫の携帯に納めるようにと合図をして、部屋を出た。

「ピンポーン」

　そんな時にインターホンが鳴った。しかし池脇実は猛に襲われているためにそれに反応することができない。由人はゆっくりと、音を立てないようにして階段を降りていく。

「池脇さん、宅配便です」

　玄関口に配達員の声が聞こえるが、玄関が見える位置に来た由人は、もちろんそれに答える気はなかった。

「何だよ、もう帰ってきているって言っていたのに…」

　配達員は荷物を持ったまま、もう一度家を確認する。灯りがついていない状況から、人がいないと判断することしかできない。今一度インターホンを鳴らすが返事はなかった。

「仕方がないな」

　ごそごそと不在伝票を書いて、門のところにある郵便受けに無造作にそれを入れると、配達員は荷物を持って去っていった。

「悪いな、楽しんでいるところだからよ」

　猛は女に覆いかぶさりながら、顔を見たこともない宅配業者へと言った。

　由人はその間に、母親の部屋と見られる場所を物色していた。池脇実と一緒に映っているＳＮＳの投稿写真では、結構な指輪をしていた。多分、その手の女は一つ二つの装飾品では満足しないだろうと思えてしまう。そんな思いで宝石箱を見つけると、由人は手袋をしてから、それを開けた。

　二〇個くらいの指輪がその中には置かれていた。その隣りにある箱にはイヤリングであろうか、別の物がやはり同じ数くらい入っていた。

　一番奥のほうの、使用頻度の低そうな物をニ、三個拝借して、由人はポケットの中へとしまった。そして女を襲っている部屋の中へと戻る。攻守交替といったところなのだろうか、徳夫が女に覆いかぶさっていた。

　それなりの時間が経過した。部屋の中には泣き崩れた池脇実が、布団の上で小さく丸まっていた。

　由人は、池脇実に近寄り、徳夫の携帯電話で撮影した動画を見せる。自らの悲惨な動画を目にするが、すぐに池脇実は視線を逸らした。現実から眼を背けたい気持ちがそこには見えていた。

「わかるよな、さっきの動画だ」

　由人は更にその動画から画面を切り替えて、池脇実のＳＮＳを立ち上げた。そして彼女のパスワードを打ち込み、ログインしていく。

「君のパスワードは簡単にわかったよ。いいか、今日の事を警察に通報したりしたら、この動画を君のＳＮＳにアップするからな」

　由人は詰め寄るようにして池脇実に近づいた。それを避けるように後退りしようとするが、そこはもう部屋の隅であった。表情を変えない由人に対して、顔を恐怖で引きつらせた池脇実が首を左右に数回振った。

「どうだい、言わないよな」

　脅迫するような冷たい視線で由人は池脇実を追い詰めていく。その圧力に押されるようにして池脇実は首を縦に振るしかなかった。それを視線に入れ、由人たちは玄関へと向かった。外へと出るときに、用心深く外の雰囲気を確認した。そこに人気はなかった。素早く玄関を出て、何食わぬ顔をして道を歩き始めた。

　先ほど通ってきた道とは異なる道を通り、ワンボックスカーの置いてある駐車場へと向かった。駐車料金はそれほどではなかった。池脇実帰ってくる時間を見越していた事と、通常の恋人同士の行為とは異なり、自分たちだけが満足するための行為であったために、それほどの時間がかからなかった事を料金は意味していた。

　徳夫は辺りを確認して、車を出した。その間にすれ違う車は一台もいなかった。すぐに大通りへと出て、ワンボックスカーは走り去った。

「今回はパネマジとかじゃなく、いい女だったな」

　猛は先ほどの光景を思い出して、いやらしい笑いを浮かべた。黙っていることに耐えられなくなったという感じでもあった。

「まあな」

　徳夫は後部座席に座る猛の姿を、バックミラー越しに見て答えた。満足している猛の表情に、徳夫は自分たちの最終的な目的を知らない猛が、自分の欲望にのみ走ってくれることを、有り難いと考えていた。

　由人は変わらず携帯電話をいじり、二人の会話に入る様子はなかった。

（二）

　由人は夏の暑い日差しが差し込む２ＤＫの部屋の中でパソコンをいじっていた。この部屋に住み始めてから、三年が経とうとしている。今稼働しているエアコンは入居した時からある備え付けのものであるが調子は良かったので、暑さをしのぐにはちょうど良かった。

　大学を卒業してやっと一人暮らしをはじめた部屋であるが、その当時とは比べ物にならないくらいに生活は変わってきていた。

　大学を卒業した当初は、会社勤めをして、システムエンジニアとして働いていたが、その会社の雰囲気に由人は馴染むことができなかった。

　社風というよりも、周りとの人間関係が一番問題であった。それに輪をかけたのは、つまらない上に建設的でない上司の愚痴を聞きながら飲む酒などであった。一度経験してからは、そのような場には参加する気にもなれなかった。会社のみならず家庭の愚痴も混ざり時もあり、言いたい事を言った上で、安く不味い居酒屋の金額を割前勘定などにするのだから、参加をしない事は由人の中では当然の行動であった。社会へ出てこれほど時間を無駄だと感じたことはなかった。

　システムエンジニアだからもっと合理的に様々な知識を使うことを要求されると思っていた職場も、先人たちが作った物に手を加える程度の仕事ばかりを請け負う会社であったことも、由人の仕事の興味を削ぐものであった。

　もっと高い技術で仕事ができる環境が欲しかった。そんな思いは増々人付き合いをなくして行った。孤立していく中で、給料のためだけにここにしがみつくことはないと結論を出し、由人はあっさりと仕事を辞めた。丁度この部屋に住み始めて一年、今から二年前であったと由人は記憶している。

　食べるための仕事であれば何でも良い。そんな中でネットゲームのアプリなどの仕事は、金を稼ぐために、それほどの知識も使わずに適当に人の射幸心を煽るだけで金になるために、日々の飯に困らないどころか、それ相応の金を手にすることができた。

　人は他人と比較されて、対抗心を燃やし、自らを高めようとしていくものである。もちろん敵わない相手に対してそんな事をする人間は少ない。だが研究でも運動でも、好敵手がいるからこそ、勝ちたいという気持ちが強くなり、より精度の高さや力を求めていくものである。

　しかし垂れ流すようなゲームの中では、多くのネットユーザーたちが誰でも行えるものを行い、自らの上に他者がいるというだけで、ちょっとした立場を入れ替えるために加金していく人たちがいるというだけであった。

　難しいゲームでは多くの人たちを取り込むことができないので、金を稼ぐ材料としては不適切であった。本当にゲームに没頭して行うなどという事は、特に考えさせることになるので、出来る限り簡単に、考えないようにして派手さを出し、時間つぶし程度ででき、且つ射幸心を煽るのである。

　更にネット上でチームを組む物を作れば、そこに仲間意識が生まれ、強調するためにも、足を引っ張らないなどの理由によって、時間なども奪われていってしまう。それでも力が及ばなければ迷惑をかけないようにするために、やはり加金するしかなくなってしまう。ネット上の現実に存在するかどうかもわからない仲間でも、現代の人間は失うことが怖いのかもしれない。

　考えない人たちから金を巻き上げることを、由人は何とも思わなかった。それはネットのみならず、他業種でも、考えない人たちを焚き付けて、そこから金を取るという事は、長い人間の歴史の中で、過去から現在まで、そして未来まで変わることはない。そう考えているから、弱者は弱者、強者は強者なのだと簡単に割り切れてしまう。

　その弱者の牌が大きくなればなるほど、一人の金額が少額であったとしても、集められる金額は大きくなっていく。

　その少額を払う人たちに対しては何とも思わないが、そんな物を作ることに加担している事が、たまに惨めに感じることもある。金のためとはいえ、もっと自分は何かができるのではないだろうか…。だが元金のない由人は思い切って行動することはできなかった。自分の能力の無さも実感はしていた。

　由人はたまにゲームアプリの開発などの他に、何となく暇つぶしも兼ねたアルバイトをしていた。それは荷物運びというアルバイトであった。しかも簡単なもので、ネットで登録した人たちに、近くで配達してほしい荷物があるので、届けてほしいというものであった。その荷物は、会社の郵便物からファストフードのテイクアウトの物まで様々である。

　そんな仕事の連絡を受けて、由人はあるファストフードの店に入った。

「中森さん、お願いします」

　同じようなバイトを受けて、テイクアウトの商品を取りに着ていた男を呼ぶ店員の声が聞こえた。中森と呼ばれた男は、それを受け取ると、さっさと店を出て行った。由人は同じようなアルバイトをする人間がやはり存在しているものだと改めて思った。その時たまたますれ違った猛の顔を覚えていたのである。

　その数日後、由人はたまには風俗にでも行こうと思い、どの店に入ろうかと歓楽街を歩いている時であった。

　ある店の前に置かれている金額表示を見ながらブツブツと言っている男がいた。何だか変な奴だなと思い、由人は関わりたくないと、それを避けるようにして歩こうとしたそんな時であった。

「ちぇ、やめとくかな」

男はその店に入ることを諦めたのか、金額表示を見るのをやめて顔を上げた・その時であった。思わず由人と男の目があった。そのまま通り抜けよう…そんな事を思い、横をすり抜けた瞬間であった。男は振り返り、由人の背中に声をかけた。

「あれ、そういえばこの間配達アプリのバイトをやっていた人じゃない」

　たまにやっているアルバイトの事を言われて、思わず由人は振り返って男の顔を見た。そういえばこの間、ファストフードのテイクアウトの宅配の時に俺の先にきていた男…由人は思わず中森という名前を思い出した。

「やっぱりそうだ。俺の後に来てたでしょう」

　同じアルバイトという親近感なのか、猛は由人に馴れ馴れしく話しかけてきた。たまたますれ違っただけの男などどうでもいい、適当にやり過ごそう…由人はそう考えた。

「ああ」

「あのバイトは暇な時にちょこっとやるにはいいけど、そんなに金は良くないからな」

　長話をしたくない。何で風俗に行こうとして男と話をしなければならないのか、由人はそんな気持ちくらい読み取れ、と心の中で思った。

「まあ暇つぶしだから安くても仕方ないだろう。じゃあな」

　話をうまく切ったと思い、去ろうとしたのだが、猛は話を続けてきた。

「いやさあ、そんなバイトだから、行きたかった店に行く金が足りなくてさ、良かったら少し金を貸してくれないか」

「何で見ず知らずのお前に貸さなきゃならないんだよ」

　同じアルバイトとは言っても、一度しか顔をあわせたことしかない人間に金を貸す人間は、普通はいないだろう。当然の由人の答えであった。

「いいじゃんかよ、今度バイトで会った時に返すからよ」

「あのバイトじゃあ、いつ会うかわからないだろう」

「そんな事言わずに」

　猛は拝むようなしぐさをするが、由人は何も言わずに猛に背中を向けて歩いて行った。何だか風俗に行こうという気持ちすら冷めてしまった。

　猛はそんな由人の背中を見て、舌を鳴らした。

「ケチな野郎だな」

　捨て台詞のように一言を発すると、猛は由人と逆方向へと歩いて行った。

　それから暫くの間、由人は知人の紹介でゲームアプリの仕事をしていた。数日後に行われる加金イベントに向けての開発であったが、それほどの日数はかからずに終わった。だが缶詰の状態でやっていた事もあり、開放感を味わいたかった。そこで中学時代からの友人である徳夫へと連絡を取った。

「徳夫、今日空いているか」

　自宅に帰り、風呂を浴びたばかりの姿の由人の電話を、徳夫はＴシャツにパンツという姿のまま布団の中で受けた。

「空いているよ」

　眠そうな徳夫の声が携帯電話から聞こえて来る。

「今朝仕事が終わったんだ。ちょっと缶詰状態だったから、少しパーっとやりたくてな」

「こんな時間からか」

　徳夫は時計を確認した。まだ午前一一時である。昨日仕事が終わった後に飲んで帰ってきた徳夫としては辛く感じる時間であった。

「いいだろう。出てこいよ、奢るから飲みにでも行こうぜ」

「わかった」

　昨日の酒が残っている訳ではない徳夫は由人の欲求に乗っかって奢ってもらおうと思った。

しばらくして、ターミナル駅で待ち合わせという事になった。

　起き抜けである徳夫がすぐに来ることはなく、場合によっては遅くなるのも仕方ないと由人は考えていた。けれども、待ち合わせまでの時間を、何となく家で潰すのも嫌だと思った由人は、ブラブラと街を歩いていた。そんな時に、一人の老人が鞄を脇に抱えたままキョロキョロとあちこちを見ている姿が視界に入った。何となく老人は挙動不審に見えた。由人は、認知症か何かなのかと思ったくらいである。

「爺の一人歩きは危ないな」

　思わず口を出た言葉であった。その時に一台の車が老人の近くへと止まった。中からスーツ姿の男が一人、運転席から降りてきて老人に近づいた。親族が徘徊老人の保護でもしにきたのか…その程度にしか思っていなかった由人は、ちょっと時間潰し感覚で顛末を見ていることにしようと思った。

　スーツ姿の男と老人は二言、三言話をしているようである。その後老人は大事そうに抱えていた鞄を男へと渡した。不信に思える行動であった。

　その時、スーツ姿なので一瞬気付かなかったが、アプリの配送のアルバイトで、それと先日風俗の前であった猛であることに気がついた。

　怪しいな。そう思った時に猛は受け取った鞄を持って車へと乗り込んだ。そして消えるように走り去って行ってしまった。

　老人は安堵の表情を浮かべて車を見送ったが、由人はその老人へと近づいて行った。

「あの、今の人は」

　いきなり声をかけられて、少し驚いたようであるが、老人は疑いを持っていないのか、返答をしてくれた。

「ああ息子の会社の人で、何だか急用に金がいるとか」

　あまりにも巷で聞いたことのある話である。要するに特殊詐欺と呼ばれるものであろう。未だに俺俺詐欺という物は存在するのか…由人はこれだけ話が広まっていても騙される人がまだまだいることを間近で知った。高齢化の波によって、ただ信じてしまうだけではなく、認知症などの人もいるので、仕方がないのかもしれないと感じるところもあった。

「そんな場面に出くわしたのか」

　昼からやっている居酒屋で、由人は目の前でビールを飲む徳夫へと、先ほど見た光景を話していた。

「ああ完全に俺俺詐欺だと思う。でもまさかそんな場面を見ることになるとはな」

　騙す騙されないという事は仕方がないと由人は自分の事でないだけに、気にはしていなかった。ただ報道でしか見聞きしたことのない出来事が、現実に、自らの目の前で行われた事に驚いていた。

「でも二度会ったことのある男にまた会うなんて、何かの運命かもしれないな」

　焼き鳥のネギマを頬張りながら徳夫は面白そうに言葉を出した。

「やめてくれよ、男との運命なんて、気持ち悪いじゃないか」

　漬物に箸を伸ばしながら勘弁して欲しいというように由人は鼻で笑った。だがまた会う事になったら、本当に何かの運命なのかもしれない。そんな事を考えてしまうが、由人は運命などという、誰かが人生を決めているなどとは到底、宗教をしている訳でもないので、本気で考えることはなかった。

「それにしてもまだ就職していないんだろう。奢ってもらって悪いな」

「ああ、フリーでも適当に金はもらえるからな。食べて少し遊ぶくらいの金には困らないさ。

　それほどの仕事ではなくてもそれなりの金になる。場合によってはそこから売れているゲームの開発などに引き抜かれる場合もあるから、その時はもっとまとまった金が入るはずだし」

「そうか、俺も手に職を着けておけば良かったかな。服の販売なんて、格好良くもなく、給料は少ないからな」

　徳夫は自らの仕事の愚痴を言い、それごとビールで流し込むようにジョッキを傾けた。

そんな他愛のない話をしてから、由人と徳夫は居酒屋を出た。後半は話しが弾み過ぎて、あまり飲んでいなかったせいか、残暑の薄明るい夕方の街にもなじんでしまうような感覚であった。その時に、由人は望んでいなかった猛との三度目の出会いを果たした。実際には今日の詐欺らしいスーツ姿を入れれば四度猛を見た事になる。運命という言葉を少し思い出し、腹が立つような感覚であった。

「あれ、この間の」

　着替えてきたのか、先ほどのスーツ姿とは異なりラフな格好になっていた猛は、由人の存在を確認すると、勝手に親しみを覚えて近づいてきた。上機嫌な感じに思えるのは詐欺の分け前でも手にしたからなのだろうか…由人は勝手に想像してしまう。

「…」

　できればやり過ごしたい。そう思った由人は、猛の存在を考えるが思い出せないような不思議そうな表情をわざと浮かべた。これで去ってくれるのならば、と思ったがそうはいかなかった。

「ほら風俗の前で、そういえばあの時は遊びに行ったのか」

　それなりに回りに人が歩いている中で風俗という言葉をサラッと口にするあたり、由人としては猛が軽率な人間に思えてくる。

「あの時の奴か」

　由人は仕方なく猛を思い出すように言葉を口にした。

「そうそう、で行ったのか」

「いや」

　由人は否定した。確かにあの時は猛の存在に嫌な感じになり、遊ぶ気分ではなくなったのだと思い出してしまった。

「お前こそ、誰かに金を借りられたのか」

「あの時は無理だったよ。あんたも貸してくれなかったし…。でも今日は懐が温かいから、ちょっと遊びに行くことも考え中だがな」

　先ほど予想した通りに、詐欺の分け前が懐に潜んでいるのであろう。そう思える感じであった。

「懐が温かいなんて羨ましいな」

　徳夫がふと呟いた。

「なんだあんた金に困っているのか、それならばいいバイトでも紹介しようか」

　いかにも良いアルバイトを知っている。もしくは自分がやっていると言わんばかり満々の表情であった。

「うちはバイト禁止なんだよ」

　徳夫はあまり気がない口調で返答をした。

「何だよ、適当でいいバイトになるのに…」

　残念そうな猛の口調である。誰でもいいというわけではないが、引き込むことができれば少しは報酬の上乗せをもらえるかもしれない。猛にはそんな思惑があった。

「どんな仕事なんだよ」

　思わず由人は尋ねた。猛は乗ったなと思ったが、どうせ詐欺だろうと思っている由人は興味を見せただけであった。その興味の表情の方向を見誤ったのか、猛は顔を緩めた。

「聞くだけ聞いてやらないというのだけは勘弁してもらいたいんだけどな」

　紹介すると言ってもリスクは伴う仕事であった。由人も猛が元締めではないとわかっているだけに、どこまで内容を聞くことができるかという程度の感心であった。それに猛の軽率そうな性格ならばすぐに明かすと思っていたが、そんなに簡単にはいかなかった。それが簡単にわかってしまうと、元締めから猛自体もどのように扱われるかわからなくなってしまうはずである。だから確実にやりたいという人間で、内容を聞いても裏切らないような人にしか紹介できないのであろうと由人は読んでいた。

「そうか内容を知らないとやるとは言えないからな」

　由人はそう答えたが、猛は内容を言わなかった。由人と徳夫の違いを何となく感じたのであろう。徳夫は引き込み易いが由人はそう見えなかったのかもしれない。そう考えると軽率にしか見えない猛もそうは見えなくなってくる。そんな猛を使って何か仕事ができないものか…そんな考えに及んでいった。先ほどの老人ではないが、悪いものに巻き込まれて金を詐取されてしまう人も少なくはないのだろう。仕事の内容自体も悪いが、騙される側も問題がある。子供のように親の庇護下にいなければ、自らがそれを選択するのである。認知症などの人が騙されるという物とは異なるが、そうでなければ自らの意思決定に従って行動をしただけである。

　全てがそんな理屈で片が付くとは思っていないが、そう単純に考える方が人生は楽しめるのではないか…。無駄に頭を使うことは損でしかない。由人の考えは単純明快であった。

「じゃあ気が向いたら連絡してくれ」

　猛はやはり由人ではなく、徳夫に名前と携帯番号、アドレスしか載っていない名刺を渡した。巻き込んでしまえば逃げられない…徳夫をそう見たのだろう。

　猛はその場を去っていった。やはり今日は懐が温かくなったので風俗にでも…猛の足取りはそんな揚々としたものに由人は感じられた。

「何だよ、あいつが今日の詐欺男だったのか」

　由人の誘いでカラオケボックスへと入った徳夫は猛の事を聞いて驚いた。その話をするために由人が誰にも話を聞かれることのないカラオケボックスを選択した事を、話を聞いた時に理解した。

「ああ、多分俺たちにも同じような仕事を紹介しようとしていたのだろうな」

　由人はあくまでも想像であるか、仕事内容を秘密裏にしている猛を見た憶測であった。

「受け子とかそういうやつなのか」

「多分な」

　徳夫はそれを聞いた時に、猛はあくまでも下っ端であり、大元ではない事を確信した。

「じゃああそこで仕事内容を聞かなくても由人にはわかっていたのか」

「まあな」

「じゃあなんであいつの仕事内容を聞こうとしたんだ」

　不思議に思った徳夫は、先ほど頼んだ乾き物の盛り合わせに手を伸ばしながら言った。

「一応確認ってことでな。もしかしたらあいつを使って何かができるんじゃないかって、頭を使ってみようと思うんだ」

「何かって」

　徳夫は由人の真意を確かめるように、薄暗い部屋の中で由人の目の奥底を見ようとしていた。

「さあ、ただ犯罪に手を染めたことのある奴を使って何かができないかと思ってな」

「そんなに簡単に行くのか」

「簡単ではないさ、ただ素人の俺たちだけじゃなく、場数を踏んでいる奴がいたらいいかなと思ってな」

　由人の言葉を冗談だと徳夫は考えていたが、由人自身は真剣に猛を巻き込んで、何か事を興してみようと考えていた。

　由人はそれから数日間、自宅に籠もるようにして、何か仕事ができないものかと考えていた。

　ただ何をやるにしても、そこには自分なりの理由付けが欲しかった。それが見つからない限りは行動には移せない。大義名分作りが由人の中で、優先的な課題になっていた。

　そんな事を考えている時であった。

「金を払ってくれなかったから殺した」

　何となく電源をつけていたテレビから聞こえてきた声であった。やっとタレントのような立場から脱却することができ、ニュースを読めるようになった中堅の女子アナウンサーの通る声であった。

「出会い系アプリで知り合った女子高生が、四五歳の男とホテルで性行為をしたのちに、約束であった金銭が払われなかったことに腹を立て、殺害に及んだという事です」

　耳だけを傾けていたテレビに、思わず視線を送った。ほとんど垂れ流し状態でつけているだけのテレビであるが、ニュースには耳を傾けてしまうことがある。

「この男も莫迦だな。ただで遊ぼうとするからいけないんだよ。遊ぶなら風俗にしておけばいいのに…売るほうも買うほうもそのほうがリスクは少なくなるのに…。

ネットが普及してから見ず知らずの人に会うことに危機感を感じなくなっているのだろうな。しかもバックドアがある通信手段を、アホな議員が自治体などでも使うべきだとか、言っているし、テレビ局だって広告収入欲しさに、危険だと考えずにＣＭに出しているくらいだからな」

　通信が安易に出来、尚且つ一人一台の時代になり、誰かとその中で共有を強いられるようになった、そんな時代背景ならではだと由人は独り言を言いながら思った。

　パソコンや電話が一家に一台しかなければ、履歴などで何を見ていたかなど、簡単に確認、もしくは監視ができてしまうが、今はそうはいかない。子供の感覚で、子供が動いてしまうことに、危機感が潜んでいるように思えた。

　莫迦な画像や動画をインターネットという世界に曝すなどは、更に愚の骨頂であると由人は考えてしまう。しかも誰かに評価をしてもら、その人間がどのような人間かもわからずに、そこに自らの評価をゆだねてしまう。下らない考えなどがそんな世界には生じてくる。現実の人付き合いが少なくなってきていることも、そこ仮想空間で証人欲求を安易に満たしてしまいたいという事なのだろう。何とも現代の人間の希薄、軽薄さが見えてしまう。

　自分たちが使っている便利な通信機器が、実は何か恐ろしい情報を拡散しているのではないだろうか…。それを糾弾するようなことが、何かできないであろうか…。由人の中で、犯罪を行うための理由付けが組み上がっていく。あくまでも由人の勝手な理由付けであるが、それは着々と頭の中で構築されていく。

「しかもネット上で収益を上げている企業の収益構造は、大昔のままだ。最新とか何とか言っておきながら、結局はインターネットという世界的な状態の牌を拡大しただけの状態で、莫迦にしている新聞やテレビを同じ広告収入を得て、販売会社は問屋と同じく手数料を得る。

　うまく建物を建ててそこに誘致しているだけなのに、他人が知らない技術だとか言って、収益構造を大きくしている」

　由人は、確かに開発に金がかかることは、自らも業界の一角にいるだけにわかっていた。しかしながら、一部の本当に先頭に立つ人間以外、たいした仕事ではないことも理解できている。単純な話し、簿記を知っている人が帳簿をつける程度のものである。新しい物を開発できる人の脳みそは別であろうが、そんな程度である。足も使わず、場所も必要なく金だけは一丁前に請求する。それが違う意味で、資本的社会構造の中で、一部の人間に富を集中する要因を作っているのかもしれない。

　それをどうにかして揺るがしてみたい。そんな事を考えて、由人はテレビを消して、パソコンへと向き直った。ただネット上のセキュリティに対して動くことなどは中々できない。適当な行政のパソコンに進入することはできるかもしれないが、資本家まで揺るがすことや、消費者に危機感を持たせることは難しい。もっと簡単にネットの社会に対して警鐘を鳴らせるか…。それを見つけてみよう。由人は一人、考えはじめていた。

　数日後、由人は風俗へと出かけていた。そこでたまに指名をする風俗嬢は、裸でベッドに座る由人に対し、紙コップに入れたコーヒーを差し出した。

「なぁ、君たちはこうして店のホームページに写真が公開されているよね」

　携帯電話に写るインターネットの写真を見せる。女は自らの写真を確認した上で

「ええ、だって写真を載せるのと載せないのでは客入りが変わるからね」

　女はあっけらかんとした表情で、紙コップに入った液体を口腔に流し込んで答えた。

「これで友人や親にバレることはあるの」

「まあ、滅多にないだろうけれどね。うちの親が店のサイトなんて見ることもないだろうし」

　親を信頼しているという事なのであろうか…父親を男として考えないからなのだろうか…言葉に重みはない。

「でもやっぱり見つかったら困るだろう。しかもこれをネタに脅されるとかされたら」

「さあ、場合にもよるだろうけど、知っている友人なら別に気にしないかな。逆に中途半端な友人に知られることが一番面倒かな」

「中途半端なっ、てか」

「そう、それほど仲良くないとか、ネット上だけの知り合いとかだと、何だかんだと面倒だよ。

　適当に良いことや悪いことを書いてもこっちとの関係なんて最初からそんなものだからね」

　ネット上の人間関係の希薄さが改めて見えてくる。由人は何となく答える女の言葉にヒントを求めていた。この風俗嬢のアカウントなどを盗んでしまえば、それによって友人、家族などに情報を拡散することは可能である。それをネタに脅すことは、もっと簡単な事である。インターネットはそれを簡単に行うことができてしまう。携帯電話も物によっては、そんな風に使えるし、パソコンよりも確実にセユリティは脆弱である。そこを巧く使えば、簡単になりすましなどはできてしまう。

「じゃあ今度君の写真を撮って、君の友だちに送ってみるかな」

「そんな脅しをしても何もメリットなんかないでしょう」

「さあ、君をデートに誘う口実になるかも」

「逆に警戒して無理でしょう。それにうちの代表は怖い人だから、何かあったらやられちゃうよ」

　風俗嬢と客というよりは、何となく古くからの友人のように話をしたが、その段階で由人はやはり脅し文句という物は使えるのではないかと考えた。

　風俗嬢が代表の話をしたように、店の監視下にある風俗などでは、下手な事をすれば店から問題発生による、何かの圧力がかかることも考えられる。それならば、そのような状態ではなく、前回にニュースで聞かれていたように、個人間で誰も介入できない状態の物の方がやりやすいと思えた。

「警戒に店の管理か、確かにな。それならば君の友人関係と洗いざらい付き合って、君の事を知らせる必要があるから難しいか」

　そんな事は由人にとっては造作も無いことであった。しかし別段この風俗嬢を陥れるわけではなかったから、その事は伏せておいた。

「女を襲うって」

　由人の部屋で缶ビールを飲みながら徳夫はその言葉に怪訝な表情を見せて言った。強制性交罪などという罪の名前を頭に思い浮かべてしまう。明らかに犯罪であるために戸惑ってしまうのは人として当たり前の反応だろう。

「そう、例えばＳＮＳなんかで軽そうな女を特定して、そいつを襲うんだ」

「でも襲うってどうするんだ」

　計画を建てるにしても、それだけで実際に行うことができるのであろうか。徳夫はパソコンの前に座る由人に近づきながら、缶ビールに再び口をつけた。

「そこであいつを使うんだ」

「あいつって」

　該当する者が出てこない徳夫は聞き返した。

「この間の詐欺をやっている中森猛さ。あいつは風俗好きだから、性欲も旺盛だろう。そして中森猛が行動をしている間に俺は別の犯行をしようと思う」

「別の犯行…」

　徳夫の頭は？マークでいっぱいであった。

そんな徳夫を振り返るように椅子を回転させて向き合った。

「まあ、それは置いておいて、女の携帯で写真を取り、それを拡散させると脅すんだ」

「脅すことまでやるのか」

「そう、だいたいＳＮＳなんかで世界に自分の襲われる姿や裸の写真が流失するなんて、嫌だろう。それによって被害者の口を塞ぐ」

「まあ可能かもしれないけど」

　半信半疑に徳夫は取り敢えず相槌を打った。

「そいつのＳＮＳのアドレスを盗めば簡単なことだ」

「由人がいればできるだろうな」

　徳夫はそんな業界にいる人に取って、他人のＳＮＳに入り込むことなどは簡単なのであろうと、簡単に考えてしまう。ただそれをやらないというのは、個々人の倫理によるものだけなのだろう。

「またＳＮＳなどで金銭のやりとりができるものがあるから、それを使って金を盗むことも考えようと思う」

「それは足が付くだろう」

　いい加減にしないと、本当に由人が行動に移してしまいそうで、徳夫はどこかで歯止めをかけなければと発言をした。

「格安スマホを使用して、金を奪い、すぐに申請を解除して、数回それを繰り返したら携帯自体を破棄する。それも脅しによって警察に行けないようにする」

「そんなに簡単に行くか」

　徳夫としては不安であった。犯罪に加担したら、もちろん自らも犯罪者である。自己防衛の意識の方が強かった。

「それほど高額なやりとりはしないつもりだ、飽くまでも実験的に犯行をする予定だからな。そのうち大きな獲物を見つける」

　由人は徳夫の手にある缶ビールを奪い、一口喉に流した。

「そこまでいうならばやってみる価値はあるのかもな」

　徳夫も現在の給料などに満足していない。だから少しでもそこから脱却できるのであればと考えてしまう。しかも長年の付き合いがある由人の誘いだから、やってみることも有りだと思った。

「でも本当に携帯のセキュリディを抜けることはできるのか」

「ああ」

　由人はそういうと、徳夫のポケットから携帯を取った。

「おい、俺の携帯」

「いいから待ってろ」

　由人は取り返そうとする徳夫の手を払い、その携帯をいじりはじめた。初めにロック画面が出てくる。そこに徳夫の誕生日を打ち込む。それに反応するように、携帯電話が動きはじめた。

「見てみろ、未だに日本人はパスワードを自分の誕生日に設定している人が多い」

「面倒だからな」

　自らの携帯電話のロックをあっさりと外されて徳夫は反論できなかった。

「ＳＮＳなんかでも誕生日を公表している奴は大勢いる。単純に画面の向こう側にいる人たちに祝ってもらいたいのだろうが、考えずに公表してくれるから、こっちに取ってもやりやすい」

「それだけで大丈夫か」

「他にも簡単な器具を使ってパスワードの解析をしてみる方法がある。だから拡散する情報を作ってしまえば、それによって脅すことは可能だろう」

　徳夫は関心することしかできなかった。そして今の生活状況を考えると、思わず犯罪の誘いに乗ってしまっても良いのではないかと思えてしまう。

「後は中森猛をどう巻き込むんだ」

　徳夫の心配はそこであった。そしてなぜ猛を巻き込もうとしているかを聞きたかった。

「理由は簡単だ。中森猛は犯罪慣れしていると見ていいだろう。俺たちのように犯罪をしたことのない人間が、単純にやっても問題は山積みだろう。しかし慣れている奴は、ある意味それを冷静に判断できる。そこを利用しようと思う」

　それだけを言うと由人はパソコンへと向き直った。そして文章ソフトを立ち上げる。

「あいつの名前と電話番号を聞いたからな、結構情報は仕入れているんだ。

【中森猛　二六歳。　東京都出身　母子家庭

　中学卒業後は定職に着かずにアルバイトにて生活をたてている。　

　以前窃盗による逮捕歴が一件ある】

　ざっと調べ上げた情報を、徳夫へと見せる。それと共に【現在俺俺詐欺などにて、生計をたてている】というものであった。

「へぇ、こんな事までわかるのか」

　徳夫は関心しながら、パソコンの画面を注視した。

「まあ、ネットに公表されているものだけを取っても、これくらいはわかる。

とりあえず仲良くなって、中森猛を使い、ＳＮＳで情報を得た人たちを襲うつもりだ。その間に金を持っているやつならば盗める物もあるはずだ」

「盗みもするのか」

　徳夫は驚いたが、こうなってしまえば犯罪の数は一個も二個も同じではないかと軽く考えた。あとはこんなに簡単に思いつくような犯罪が巧くいくのであろうか…そんな心配でもあった。

「とりあえずターゲットにする女はこいつだ」

　由人はあるキャバクラのホームページを開いた。都内ではあるが、都心ではなく郊外の店であった。見ればその店で一番人気のキャバクラ嬢らしかった。それは写真に着けられたタグで確認できる。

「可愛い子だから、襲うことはできると思うが」

「そうだろう。それにこれを見てくれ」

　由人は新しいタブを開き、湊ゆきという女の店内ブログを見せた。そして画面をスライドさせながら何となく数点の写真などを徳夫へ見せていく。

「これがどうした」

　ざっと流して見た徳夫はそれを意味するものが理解できなかった。

「ブランドバックに、高そうな貴金属などを自慢気に曝しているだろう」

　確かによく見ると写真にはそのような高額商品を身につけている物が目立っていた。中には投稿で

「買っちゃいました」

　と謙虚に見せて自慢するような書き込みが見える。

「それでいて見ろ」

　由人は部屋の中と思われる、他の写真とは比べものにならない小さな室内の写真を一枚選んだ。

「これは」

「こいつの部屋らしい。今までの中で自宅の写真はほとんどないが、見つけたんだ」

「確かにそうだけれども、これがどうした」

　徳夫は未だに由人の真意が掴めない。由人はその写真を拡大してみる。少しばかり荒いが画像になるが、今の画素数を考えるとそれほど見えないというものではない。

「ここを見てみろ」

　由人は部屋の窓から見える百貨店の屋上と見られる看板をマウスで示した。この百貨店はそれなりに名前は売れているが、あちこちにあるという程ではない。

「この百貨店があるのは、都内でも数少ない。そこからだいたいの住所を割る出すことができる」

「そんなものか」

　半信半疑でいる徳夫に対して、由人は別の投稿を見せる。

「ここを見てみろ」

【今日の雨、最悪。電車も遅延しているみたいだし、店に行くのが面倒だな。でも待っているお客さまもいるので、頑張って出勤します】

　そんな客の心をくさぐるような、湊ゆきの投稿であった。

「この投稿された日の雨が降っていた地域と、尚且つ遅延していた路線を調べてみると、住んでいる地域がだいたい割り出すことができる。

　由人は、気象情報と電車の遅延情報を調べてみると、確かに百貨店の店舗の位置が確認できてしまう。

　更に地図を広げていく。今は写真上でスクロールしながら確認できる立体の地図もあるので、尚更苦労はしなかった。

「あのロゴの位置を確認すると、多分この辺りのマンションがあやしいと思う」

　考えようによってはそこまで特定できてしまうのか…徳夫は由人の悪知恵に感心してしまった。

「実際に行ってみて、もう少し下準備と確認をすれば、こいつの住んでいる部屋も特定できるだろう」

「そうやって考えるとＳＮＳも怖いものだな」

　徳夫は改めてパソコンの画面を数回確認してから缶ビールを飲み干した。それが空になった事を確認すると、改めて冷蔵庫の扉を開けた。

「お前、何本飲むんだよ」

「いいじゃないか。景気付けだよ」

　徳夫はそこに由人の計画に乗ることを決定づけるように言った。由人はそれに気がついたのか、自らも缶ビールを取り出し、プルトップを押し開けた。そして二人は、その缶を合わせてから口を着けた。

　由人の部屋で話した数日後、徳夫は深夜三時頃に、湊ゆきの自宅周辺を、自転車で走っていた。その自転車はワンボックスカーに積んで運んできたものである。そのワンボックスカーは由人が乗っていってしまい、もう近くにはいなかった。なるべく目撃などをされて足がつかないようにするという二人の配慮であった。

　一二月に入ったばかりのその日は寒く、遅い時間であるために、人気はほとんどなかった。平日の夜であるから、尚更そんなものであろうと徳夫は思っていた。

　湊ゆきの務めているキャバクラが閉店するのは午前二時である。それは一度遊びに行っていたので、その時に男性スタッフに確認済みであった。もちろんその時に湊ゆきが自分たちの席に着かないように、他の子を指名したのである。

　その閉店時間から考えると、送りの車がこの辺りにくるのはそろそろであると当たりをつけていた。

　何も考えずに、家の辺りと思われるところを徳夫は徘徊する。特に気にするような物はないと思われる。駅前の商店の防犯カメラなどが気になる程度で、コンビニエンスストアに入ったりしながら様子を見ていた。たまに喫煙所で時間を潰すなどをしながら通る車へと目を配った。

　そんな中、数名の女が乗っている車が徳夫の前を通って行った。

「ビンゴ」

　徳夫は煙草を灰皿へと押し付けて、自転車へと股がった。そんなに急ぐ必要はなかった。何となく当たりをつけているマンションの方へと走るだけであった。

「お疲れ様でした」

　案の定、湊ゆきは徳夫が目星をつけた車から降りてきた。その姿を後方からゆっくり走る自転車で確認する。携帯を見ながら走ればゆっくりでも怪しまれることはないと思われた。

　確かに店のブログで確認した顔であることも確認できた。

そのまま湊ゆきの横を通り抜けて、マンションの角を曲がった。そこで自転車を停め、改めて湊ゆきがマンションへと入っていく姿を目撃した。後はマンションの上階を見上げるだけであった。他の部屋の人たちは午前三時ということもあり、寝静まっているのか、部屋の灯りは確認できない。多少はついている部屋もあるが、これから灯りの点く部屋を確認するだけで充分であった。

「一二階の左から３つめか」

　徳夫から報告を受けた由人は、車で合流して聞いた部屋の位置を反芻した。辺りに人気がなく、防犯カメラもないような場所を選び、自転車をワンボックスカーの後部へと入れたのである。そして徳夫は助手席で冷たくなった身体をやっと落ち着かせた。

「ああ、間違いないだろう」

　由人が湊ゆきのマンションを調べたところによれば、一階の玄関はセキュリティのために鍵を使わなければ入る事ができない。だがこのタイプのマンションはあまり住人同士の行き来がないために、住んでいるふりをして誰かの後に滑り込むようにして入ってしまえば、問題はないと思われた。その後、湊ゆきの住んでいる一二階へと上がってしまえば後は部屋に侵入をすれば良いだけであった。

「あいつのＳＮＳは見つかったのか」

　徳夫はドリンクホルダーへと置きっぱなしになっていた缶コーヒーを飲んでから言った。

「ああ、友達の友達になっておいた。近づきすぎずに見ることができる位置だ」

　由人はあまり表情を変えずに言った。徳夫は最近、このような事をやっている時に、由人が表情を出さなくなっている事を不思議に感じていた。張り詰めているという感じではない。だが明らかに普段とはあまりにも違う表情である。何かを秘めているように思えるが、それを直接由人に問いただすことはできなかった。

「後は中森を引き込むだけだな」

　由人ははじめての犯罪を実行するための第ニ段階へと入ろうとしていた。

「もしもし、この間会った張本だけど」

　あまり抑揚の無い口調で由人は携帯電話へと話しかけた。

「あっ、誰」

「運び屋のバイト、あと風俗の前で会ってこの間連絡先を交換しただろう」

　猛は思い返しているのか、返答がすぐには返ってこない。由人はそんな猛の反応を待った。

「ああ、連絡先を教えた奴か…」

　猛は自分がやっている裏の仕事仲間に引き込むために先日、駅の近くで会い、連絡先を交換した事を思い出した。しかしその連絡先は徳夫に教えたものであり、由人からかかってくるとは想像もしていなかった。

「何だ、仕事をやる気になったのか」

　引き込むことができればどちらでも良いか…猛はそう思うと言葉を続けた。

「いや、それとは別の用件があるんだけど」

「何だよ、仕事の話しじゃないんだったら切るぞ」

　どこか人ごみの中にいるのか、猛からの返答の合間には、騒々しい人の気配を感じる。やはり猛は軽率な部分があるのかもしれない。もしも猛を巻き込んだとしても、こいつから足がつくかもしれない。そんな事を考えてしまうが、犯罪慣れしている猛の存在はやはり魅力であった。

「ちょっと待って、風俗を奢るからちょっと話をしないか」

「風俗だって…」

　猛はその言葉に反応して、考え直しているのか、電話が切れることはなかった。

「話を聞いてくれたら、風俗を奢るよ」

　改めて由人が言う。

「電話でいいのか」

　その奢るという言葉の裏に隠された真意を探り、警戒するような猛の返答であった。多分頭ではなく、直観でそれを悟っているのかもしれない…由人はだからこそ猛が魅力であると思っていた。

「お互いに電話じゃないほうが良いだろう」

　由人の含んだ言い方であった。猛は警戒する気持ちを持ちながらも、それ以上に何か旨みがあると感じていた。

「確かに電話じゃないほうが良さそうだな」

　由人は猛の指定した待ち合わせ場所を聞いて電波を遮断した。

　由人が着いてからしばらくして、猛は原動機付き自転車で、待ち合わせ場所へと現れた。前回見た時のようなスーツ姿ではなく、これが普段の格好なのだろうと思わせるラフな服装であった。

「話っていうのは何だよ」

　緊張した面持ちになっている猛は、ヘルメットを取って由人に近づいてきた。そんな猛をワンボックスカーの中へと誘おうとする。

人気のない場所を選んだとはいえ、車という密室に入ることに猛は警戒をした。いい反応だ…由人は仕草を見て思った。

「中には誰もいないよ」

　由人は後部座席のスライドドアを開け放ち猛に車内を確認させた。それで猛は警戒心を少しだけ解いた。先に由人が乗り込み、猛が続くように乗り込んでくる。スライドドアを閉めるが、鍵はかけない。何かがあったらすぐに逃げることができるようにという思いである。

　二人で後部座席に乗るという奇妙な雰囲気であるが、由人はそこでノートパソコンを開いた。そして飛んでいる電波を捕まえてインターネットを接続する。

「このキャバクラ嬢、どう思う」

　パソコンの画面に映ったホームページに乗っている湊ゆきの写真を物色するように猛は見入った。

「結構いい女じゃないかよ。まぁ金を出して会いに行こうとは思わないけどな」

　女好きという、由人の猛に対する思いは間違っていなかったように思える。ただ金を出すほどではないという。しかしキャバクラという金を出して、話をして一緒に飲むという行為に関して、であろうと思っていた。

「これが風俗嬢だったら別か」

　今度は性的な面を踏まえて聞いてみる。

「まあ、大衆店であれば有りだな」

　いやらしそうな笑いを頬に浮かべながら、猛は改めて湊ゆきの写真を物色するようにして確認した。

「じゃあ、この女がタダでできるとしたらどうだ」

　猛はそんな突拍子のない事を言う由人を驚くような顔で見た。それとも何かを企んでいるのか、金のために犯罪に手を染めるのとは異なる感覚が、猛を困惑させていた。

　ただという言葉の怖さもあったのだろう。企業のようにポイントカードを作るところは、それに付随するポイントを還元するかわりに、自らの所に客を縛り付けるという意味もある。しかしながらそれが満足に直結している場合には、問題視はされない。ただという言葉には様々な意味が含まれているということもわかっているようであった。

　この女をタダでやるかわりに、見返りは何か…それが猛を困惑させていた。

「俺にどうしろと…」

　本当の目的を聞かない限りは答えたくない。そんな表情を猛は見せた。しかし由人は一切無表情に近い顔で答えた。

「単純さ、タダでやるだけだ」

「それによってお前が得る物とは」

　猛の口調が強くなった。由人は猛の求めている答えを知っていながらも、それを口にする気はなかった。そしてそれを表すかのように、無表情のまま続けた。

「お前がやるなら、俺もやるだけだ」

　自分の女を差し出し、その上で求める見返りなどではない。猛が何となく言葉を理解した。

「この女との接点は無いということか」

「そうだ。何とかして手をつけようと思ったが、犯罪をした事のない俺達だけでは心もとなくてな」

「犯罪をするのに手を貸せということか。無理だな。俺にはそんな事はできない」

　猛は自分の素性が由人にバレていないと思っているのか、犯罪をすることはできないと言い切った。

「いや、できるだろう」

　由人は逃さなかった。猛はその眼光に押されるような感覚を受けた。お互いが探るようにして暫くの沈黙が続き、それを猛が破った。

「何かツテはあるのか」

「いや、ない。ただ計画は立てている」

「その中で俺が必要なのか」

「ああ」

　由人が更に眼で迫った。

「お前らにこのような犯罪の経験は」

「ない。お前と違って詐欺をやったこともない」

　猛のことは調べ済みである。わざとその情報を言うことで、更に煽ろうとしていた。

「俺が詐欺を」

　猛はとぼけようとした。しかし由人はウナギを捕まえる手のように、逃げる先を塞ぐようして言った。

「そうだろう。ただ受け子、出し子と言った役で、詐欺の中心人物ではないだろうが…」

　二人は無言のまま、牽制し合った。まったく動かない由人の表情に、猛が思わず笑いを浮かべた。

「良く調べたな。警察よりも迫力があるな。まぁ害はなさそうだから、あっさり白状した方が楽だな。

　ところで、お前がやろうとしている事は何なんだ」

　猛は確信に突っ込もうとしていた。そしてその段階では、もうこの犯罪に加担しても良いという事を、半分心に決めかけていた。だが計画がわかり、それがしっかりしたものでなければ乗ることはできない。それが残りの半分であった。

「単純に女を襲うというだけだ。この女の自宅はもう確認している。昼がいいか夜がいいかは今考えているが、自宅に押し込もうとしている」

「自宅に、そんな事をしたら簡単に足がつくだろう」

「もちろんだ」

「じゃあそんな莫迦に付き合う気にはならないな」

　当たり前の反応であった。そしてそんな無計画な事に乗ってしまおうと考えた自分に、猛は嫌気が差すような気がしていた。

「俺は以前、コンピューター関係の仕事をしていたんだ。その知識を使って、この女を脅そうとしている。やった場面を拡散すると」

「それくらいで女が言わないと思うのか」

　半分乗りかけていた舟を猛は降りようと思っていた。

「さあ、ある意味女次第だが、目の前で女に自分のＳＮＳに侵入するところを見せて、動画を一瞬だけアップする。いつでもお前のＳＮＳにアップできるという事を忘れないで欲しいと」

「そんな事ができるのか」

　もしもできるのであれば、足が着くことはなくなるかもしれない。猛は再び船に戻ろうとしていた。

「ああ、何回か他の人間のＳＮＳに侵入することは試みた。それでも言うくらいの女ならば素直に捕まればいいと思っている」

　由人は、もっと大きな犯罪を将来的にできないかと考えている。もしも初犯で捕まるのであれば、その程度で止めておかばいいと考えていた。しかし、その考えは表情には出てこなかった。そこから猛が読み取れる物は何もなかった。ネットの場合には、本気で警察などが調べない限りは、実際に写真をバラまくなどという行為よりもバレることは難しい。しかも拡散具合はまったく異なる。それでも平気という女がいるかどうか…。

「俺とこれを計画している友人は、今まで犯罪行為を行った事がない。だから犯罪経験のあるあんたが一緒にやるというのであれば、少しは変わってくると思う。

　あんたが乗ってくれるというのであれば、万全の状態を作って女を襲おうと思う」

　由人は眼に更に力を加えた。

「こいつの行動パターンは」

　舟へと乗船した猛は、女の行動を確認しようとしていた。

「全部ＳＮＳで取ってある。それに実際に店や自宅への帰り時間、朝というか昼の出勤などの行動も二週間程度かけて確認している」

　猛は最後の決断を迫られていた。

「もう少し考えてもいいか」

「ああ、期待しているよ」

　由人はその後、猛を約束通りに風俗へと送った。とは言っても帰りのことなどもあるので、猛は自らの原動機付き自転車に乗ってであった。

　由人は風俗へとは入らずに、その場で猛に風俗の金額を手渡し、暫く猛の返事を待つことにした。

　そこから二日、猛は電話をかけてきた。

「あの計画、乗ってもいいぜ」

　覚悟という言葉が乗っかったような重たい言葉であった。

「わかった。改めて計画が決まったら連絡する」

　そんな電話から数日後。由人と徳夫、そして猛が昼に、湊ゆきの自宅の最寄り駅へと集まった。

　計画は手紙で連絡をしていた。メールなどを使用すると、いくら本人達がそのメールを消去しても、実際にはどこかに残ってしまうものである。それを警察などが調べようとしたら、サーバーやら何かを調べれば確認されてしまう。アナログを使用するほうが、より確実であり、破棄する方法も簡単で、何かと都合が良かった。

　その計画は、ごく簡単なものであった。

　現在の時刻である昼に、湊ゆきは起床することが多いようで、そこを襲うのである。

　呼び鈴を押して、そのまま自宅に押し入り、性暴力を行うのである。一番はじめに猛を仕向ければいいと由人は考えていた。その時に動画を徳夫が撮影する。その間に由人は部屋の中を物色する予定であった。そのためにリュックサックを持ってきたのである。猛には、それはカモフラージュで、近くを歩いている普通の人に見えるようにという話ししかしていなかった。

　マンションの扉を主婦が開けようとした時であった。三人は後ろへとついていき、エントランスを抜けた。エレベーターは数台あるが、一緒に入ったマンションで別のエレベーターへ乗ることは不自然だと思い、主婦に続いてエレベーターへと乗り込んだ。

　主婦は八階のボタンを押す。それを見た上で一二階のボタンを由人は押した。主婦が降りた後、無言のまま三人は一二階へと移動した。

「いよいよだな」

　猛は緊張しながらも弛緩している感じの顔をしている。それを見て由人が声を出すことを制する。

　以前深夜に徳夫が確認した部屋の位置を、改めて確認してから、呼び鈴を押す。昼の時間で警戒していないのか、湊ゆきは玄関を開けた。その時であった。

　三人が計画していたように、一瞬で部屋の中へと入り、湊ゆきの口を封じた。

「静かにしろ。騒がなければ殺しはしない」

　少し強い慣れた口調で猛が言った。湊ゆきは殺すという言葉以前に、三人が部屋の中へ侵入してきた恐怖もあるのか、状況を理解できないが、首を縦に振るしかなかった。そして寝室へと向かう途中で、徳夫がタオルで湊ゆきの口を塞いだ。

「いいか、これはお前のＳＮＳだよな」

　由人が湊ゆきの携帯をいじって画面を見せた。そこには湊ゆきが投稿した画面が映っている。

　由人は自らの携帯電話をいじり、そこに投稿を書き込んだ。その文章が一瞬湊ゆきの画面に写る。そしてそれを由人は湊ゆきが確認した段階ですぐに消去した。

「俺はいつでもお前のＳＮＳに入ることができる。これからお前を犯すが、その動画がいつでもここに載る可能性がある。しかしお前が誰にも今日の事を言わなければ、載ることはないだろう。その意味はわかるよな」

　由人は変わず無表情で詰め寄るように湊ゆきに言った。湊ゆきはそれに頷くことしかできなかった。その次の瞬間、猛が女に襲いかかった。嫌がる湊ゆきだが、力では男に勝てるはずはなかった。

　由人はすぐに部屋から出て、他の部屋を物色しはじめた。クローゼットを開けるとそこには客からもらったと思われるプレゼントなどが箱から出されずにしまってあった。

「どうせ自分では何があるかなんて、もうわからないのだろうな」

　中身を見ることもなく、由人は数点の品をリックサックの中へとしまった。

　それで終わりであった。帰りに取った動画と、再び脅し文句を言い、湊ゆきの部屋を後にした。

　多少の緊張はあったが、はじめてにしては上出来だと思えた。

　その後一〇日くらいはおとなしくしていたのだが、湊ゆきが警察に被害届けを出す様子はなかった。ショックから店を休むことなども考えたが、それもなく、ＳＮＳの投稿も今までと変わらない間隔で投稿されていた。多分、いつもと同じ行動をすることで、恐怖や嫌な思い出から逃れようとしていたのではないかと由人は推測した。

「この後は、品物を売るだけか」

　徳夫と二人で話をしながら、由人はビールを飲んだ。それは猛が知らない二人だけの計画であった。

　売る時には、近くで捕まえた人をアルバイトと称して、自らが買い取りなどの店に入ることはしなかった。

　頼まれた人としては「母に頼まれて」と言って商品を売るだけで五〇〇〇円程度の金がもらえるというので、それで充分だし、罪の意識は全くそこには存在しなかった。

（三）

　いつの間にか梅雨時になっていた。そんな中、相変わらず由人は自宅のパソコンの前に座っていた。

「今まで四件か」

　ポツリと呟いた由人の言葉に徳夫は反応し、冷蔵庫から取り出したビールを喉の奥に押し込んで近づいた。

「四件もやったんだな」

　最初の犯行に及んだ一二月から数え、一月

二月、そして五月と立て続けに女を襲ってきた。その全てがＳＮＳから情報を得て、それを元に決めた女であった。猛には女を襲うとしか話していなかったが、由人たちは別行動の上で盗みを働いてきた。それによって由人と徳夫が得た金額は、一〇〇万円近くになっていた。

　一番はじめの湊ゆきは、客から貰ったブランド物をクローゼットの中に未使用のまましまっていたために、それを盗むことができた。

　二番目の女は、パネマジをしていたこともあり、ＳＮＳの写真とは異なり、実物と比べると決して可愛いとはいえなかったが、それは由人たちに取っては二の次であった。投稿に度々あった通りに、宝石類を結構買っているという情報があったので、そちらのほうが由人にとっては大切であった。数が多いので二、三個という少量であればバレないと踏んだのである。

それは三番目の女の母親の宝石も同じ理由であった。宝石箱のなるべく下の方の、あまり使いそうにない物を拝借したのである。それでも充分な金になった。

　四番目の女は、由人に取って実験であった。猛が必死になって女と行為に及んでいる間に、女の携帯からチャージされているデンシマネーを盗んだのである。

　犯行に使用した携帯電話は、金がなさそうな知らないネットで知り合った男に頼み、安い報酬を払い、購入してもらった物を使用した。その男名義で購入したために、支払い代金として四ヶ月分の通信料と解約金を払い、その期間後に解約してもらっていいという話であった。

　現在は随分と金のやりとりも楽になったものである。財布から盗む行為と同じように、携帯の暗証番号さえわかれば、あっさりと他の携帯に金額を振り込むことができる。もしもそうでなかったとしても、起動している携帯をいじって、友人などに振り込むアプリを使ってしまえば簡単であった。

　この時に振り込んだ金額を、現金に変えたり、自分の携帯電話へと送ったりしてしまえば足がついてしまう。だから商品を購入するなど、簡単な事で使用した。それで充分であったのは、由人としては飽くまでもテストケースとしたからであった。

「俺達、随分犯罪慣れしてきたと思わないか」

「ああ、確かにな。けれども今まで女が対象だったからじゃないのか」

　徳夫はこれから本番であるという由人の話を事前に聞いていたので、慎重な意見にならざるを得なかった。

「大丈夫、事前に相手の行動も探るし、手も打つようにする」　

　次のターゲットは徳夫が心配したように女ではなく、男であった。犯してそれをネタに通報させないという方法は通用しないのである。どのように抑えこむか、悩みどころではあるが、由人のやり方についていくことしか徳夫にはできなかった。

　今度の対象のＳＮＳの投稿者は、チャラチャラとした感じの色黒の男であった。一昔前の感じで、日焼けサロンで焼いているような自然な肌の色味ではない。

「こいつの行動か」

「ああ、頭は良さそうだが、莫迦だな」

　由人は矛盾するような評価を述べた。その眼には、投稿者である大岩直規はそんな風に映っていたのである。

　たまたま見た目とは異なり、パソコン関係の仕事をしていて、仮想通貨に手を出したようである。それが当たったのか、ある時から相当の金を稼いでいる可能性が高いと踏んでいた。

　由人が大岩を評して「頭がいい」と言ったのは、やはり先見の明があり、仮想通貨に手を出したという点であった。インサイダーではないのだろうが、パソコン関係者の一部では情報として、仮想通貨の有益な話は巡ってくるものである。ただガセなども多く出回るネット社会では、それを自分たちの力量で精査する必要があった。大岩はその点で優れていたのだろう。逆に疑い深い由人は、何となく警戒している間に、仮想通貨の波に乗ることはできなかった。

「それで何が莫迦なんだ」

　由人の言っている矛盾の意味がわからずに、徳夫は由人のそばへと寄りながらパソコンの画面を視野に入れた。

「いいか」

　由人はパソコンをマウスで操作しながら、画面を進めていった。そこには大岩が投稿している画面と共に、様々な文章があるＳＮＳが写っていた。

「あからさまにネットで自己顕示欲を満たそうとしている。三年前くらいの投稿から、急に高級品を買ったり、高級レストランや旅行に行ったりと画像をアップしている」

　話をしながらマウスを操作し、スルスルと画面をスライドさせていく。いくつかのそのような投稿がされている画面を徳夫へと見せた。

「確かにそうだな」

　由人の意見に徳夫は納得するしかできなかった。事実としてそうなのだから、もちろん否定することはできない。

「自分をひけらかす所は莫迦だ。しかしながら、セキュリティはしっかりとしたソフトを入れている」

「じゃあ由人がやるような遠隔操作では難しいという事か」

「そうだ」

　徳夫もここしばらくの間で経験を積んできたためか、由人の言わんとしている事を先読みするようになっていた。そのために話は抵抗なく進んでいった。

「じゃあ、こいつの仮想通貨を盗むためには、実際に相手のパソコンをいじらないと駄目ということなのか」

「そういうことだ」

　由人は冷蔵庫へと自らのビールを取りに立ち上がった。そしてそのままリビングのソファへと腰を掛けた。徳夫はそれを追い、由人と向かいあうようにして座った。

「じゃあこいつの行動を読んで、居ない時に行くしかないということか」

　また内偵が必要である。徳夫は自らの休みの予定を頭の中で考えていた。頭脳として動く由人に対して、自らがそのような行動をしなくてはならないと考えていたし、今までもそうであったからである。

「ただ今回は簡単な面もある」

「何がだ」

　その理由を早く聞きたいといわんばかりに徳夫は先ほど考えていた自分の休みの事など忘れ、乗り出すようにして言葉を発した。

「こいつのＳＮＳには自宅の住所なども書いてあるし、写真に写っている景色などを見れば簡単に特定できる」

「それは今までも同じだろう。女のマンションとかを捜すのも、だいたいは投稿されたもので判別できたし…」

　はじめての犯行であった湊ゆきの時のことを徳夫は思い返していた。確かにあの時は書き込みなどの情報から、ある程度家の近くを特定し、自宅の画像なども活かし、建物を発見した。

「まあそれと近いが、確実に住所を最初から曝しているからな。しかも旅行などに行っている時に、その場でこいつは投稿をしている」

　由人は再びパソコンの前へと向かう。それにつられるようにして徳夫も後を追う。そして大岩のＳＮＳ投稿を確認しはじめる。

【さっき旅館に着きました。すげーいい雰囲気の旅館です】

　とういう書き込みと共に、写真までが映し出されている。誰かと一緒なのだろうか、それとも自分で取ったのかはわからないが、自らの姿までも写真には映りこんでいた。

「これも何か情報になるのか」

　徳夫はそれを見せる由人の真意を掴みかねていた。

「いいか、こいつはリアルタイムで自分の情報を発信しているんだ。つまりこういう投稿をしている時に自宅にはいないという事だ」

　それを言われて徳夫もわかったのか、その時を狙えば大岩の自宅に入り込むことは不可能ではないのである。

「だからこいつは頭が悪いと言っているんだ。しかも一週間後に旅行に行くという投稿までしているんだから、そこが狙いだ」

　由人はそんな投稿があるところへと画面を移動した。そこには航空券の写真が載せてあった。

「確かに、これだけ自分で情報漏洩をしてくれると、有り難いもんだな」

「そうだ、後は気前よくこいつの金を奪うだけだ」

　由人は画面から視線を離し、徳夫に得意げな表情を見せた。徳夫はそんな由人へと缶ビールを合わせた。その後は勝利の美酒を口腔へと流し込んだ。

　それから一週間後、

　大岩の自宅へと二人は向かった。北関東の畑などの多い中に誰もいないような大岩の自宅はあった。以前の投稿などを確認すると、祖父が亡くなり空家になっていた家に移り住んだというものであった。実家は都内であるが、仕事がパソコン関係で、遠隔で仕事ができる環境のようで田舎でも問題はなかった模様である。

「そういえば家族は一緒じゃないのか」

「独身みたいだな。実家は都内ということまで書いてあるから問題はないだろう」

　そんな話をしながら、少しだけ旅行気分で高速道路を走って行った。

　それほどの所要時間をかけずに、二人は狙った深夜の時間帯に大岩の自宅辺りへと着いた。

「本当に投稿にあった通りの家だな」

　徳夫は自宅を見るなり口走った。のどかな風景の中、田舎ということもあり、深夜帯に人気はなかった。元々顔見知りが多い地域であろうと踏んで夜の人目につきにくい時間帯を選んだものであった。

　さらに念を入れて由人は大岩の自宅に近づく少し前に、ナンバープレートをビニールテープで加工していた。コンビニエンスストアは少ないので、防犯カメラはその程度しかこの地域にはないと踏んでいたので、避けることは簡単であった。カーナビも最新のものにしておいたので、コンビニエンスストアの位置の確認も容易であった。

　由人は下手なところへと車を放置しているほうが危険だと思い、そのまま大岩の自宅の敷地内へと車で入っていった。その上で出来る限り外部から確認しにくい場所へと駐車した。

「窓でも割ってと思っていたが、雨戸はしまってるな」

　徳夫は車を降りて家を見た時に、すぐに思っていた展開を述べた。しかし由人はその方法は考えていなかった。綺麗に鍵のところだけを割る方法もあるが、それよりも田舎では有利な方法があると考えていたからだ。

玄関に近づくと、指紋が着かないように手袋をして、それが開くかどうかを確認する。しかし旅行に行っているだけはあり、玄関の鍵は閉まっていた。すぐにそばにある郵便受けを確認する。しかしそこには何も入っていなかった。由人は表情を変えずに、今度は勝手口へと回る。徳夫は取り敢えず由人の後を追った。

　由人は勝手口のドアノブを一度回すが、開くことはなかった。そして辺りを物色しはじめた。

「何かありそうなのか」

　徳夫は小さな声で何かを探し続ける由人に声をかけた。由人はその声に振り返ることもせずに答えた。

「もしも大岩がこの辺りの生活に馴染んでいれば、鍵はこの辺りに置いている可能性が高いと思うんだ。田舎になればなるほど鍵を閉めないという話もあるが、流石に旅行中で鍵は閉まっているからな」

　未だにそんな地域があるのだろうか…徳夫は思うが、もしかすると本当にそうなのかもしれないと、思わず勝手口の横に置かれている植木鉢をどかしてみた。しかし植木鉢の置かれた跡に、鍵は置いていなかった。

　こんな所にあるわけがないか…徳夫は植木鉢を戻そうとした時であった。小さな木の後ろ側の土の中に埋め込まれている鍵を発見した。

「由人、もしかしたら、これ」

　その声に反応するように、他の位置を見ていた由人は植木鉢を確認した。確かに鉢植えの中に鍵があった。隠れているようで隠れていない。こんな場所にという方が、気がつかないことは多々ある事であった。

「でかした」

　由人は今までと同じように、犯行を行っている時に笑顔を見せることはなかった。声が明るく感じられるのに、笑わない由人は徳夫の恐怖心を少しだけ煽るようであった。

　その鍵を手に取り、勝手口のドアを開けた。

二人共手袋の奥まで今一度指先が入っていることを確認するようにして引っ張り、家の中へと侵入した。靴は勝手口の前までにして、持ってきたスリッパへと履き替えた。

　家の中の電気はつけずに、携帯電話のライトで照らして、台所から他の部屋へと入っていく。

　徳夫がとある部屋に入って驚いたのは、部屋一つを丸々使ったアイドルの写真やグッズで埋め尽くされているところであった。この情報はＳＮＳには一切書かれていなかったはずである。大岩の自らがアイドルファンという事を恥部として隠したいという心情が読み取れるようであった。

　由人は他の部屋へと入り込み、パソコンが置いてある机を見つけた。そしてそのパソコンを立ち上げる。由人がパソコンをいじりはじめている事を徳夫は確認してから、他の部屋を物色しはじめた。

　パソコンを立ち上がる際のロックはすぐに外すことができた。ロックナンバーはいくつか目星をつけていたので、その一つが当てはまった。

　そしてすぐにネットバンクの口座を立ち上げた。そこには別のロックがかかっていた。そこに目星をつけた番号を順番に入力していく。しかし三回打ち込んでも、その番号に対してロックは反応しなかった。

　その間違いのために暫くの間はパスワードを打ち込むことができないが、数分ののちに再び挑戦することができた。大手銀行のＡＴＭなどのように、そのカード自体が使えなくなるというようなものではなかった。

　再度挑戦するが、中々当てはまる番号はなかった。けれども大岩が旅行でいないことがわかっているために、慌てることはなかった。ある程度の時間を費やすことができる。だがそれにも限界があった。それを頭に入れながら由人は数回の記号や番号を入力するが、それが該当することはなかった。

　嫌な予感を感じながら、由人は一度頭を空にして見ようと、パソコンの置かれている部屋を出た。

「ちょっと金目の物を見つけたぞ」

　途中で出くわした徳夫は、鞄の中にアイドルのグッズを数点入れていた。ファンにはそれなりの金額で売ることができるようなものである。その時、由人の中にある考えが浮かんだ。

　すぐに自らの携帯電話をインターネットへとつないで、自らの考えている事柄を確認した。もしかしたらこれが使えるかもしれない。そう思うと、再びパソコンの前へと座り、調べた番号を打ち込んだ。今までの間違いなどを考えると少しだけ不安を覚え、緊張する感じもするが、由人はそれを表情に出すことはなかった。

　エンターキーを押して画面を確認すると、切り替わった画面は今まで見たこともない画面であった。当たりである。

　ここからはネットバンク上での、送金作業であった。猛を犯罪に巻き込んだ事が、改めて役に立つ時がきた。

「知人でちょっと架空口座が欲しいというやつがいるんだが、何とかならないだろうか」

　以前猛に持ちかけた話であった。

「うちの先輩たちに頼めば幾つか売ることは可能だと思うが…」

　組織からしたら商売である。猛が乗ってくることも想定内であった。

「できれば四つほど調達してもらいたいのだけれども」

「大丈夫だと思う」

　それから数日した時であった。

「一口座の金額はこの間言った通りだ。使った後は適当に破棄してくれればいい。転売などをもしもやった場合には、こちらは責任を持たない」

　それが条件であると猛は言っていた。

　その時に用意してもらった四つの口座へと、大岩のネットバンクから一千万円ずつの送金を由人は行った。多分大岩にはすぐにバレてしまうだろう。その前にできる限りの金額を現金へと変える必要があった。

　由人はその作業だけを終えると、すぐに徳夫と合流した。これ以上ここへ留まる理由はなかった。金目の物を盗むにしても、今送金した金額には遠く及ばない。

　二人は勝手口から出ると、なるべく形跡を残さないようにして、ワンボックスカーを走らせていった。

　帰りは下道であった。高速道路へと乗った記録を残さないようにしたためであった。

「そういえばネットバンクの暗証番号がなかなか合わなかったみたいだけれども、最後はどうやって」

　徳夫が運転しながら、パソコンに手間取っていた由人の姿を思い出すように言った。

「ああ、あれか…。あいつの好きなアイドルの部屋があっただろう」

「ああ、趣味の悪い部屋があったな」

　ＳＮＳに出さない大岩の恥部を思い出すようにして徳夫は言った。

「あのアイドルの生年月日だったよ。アイドル好きは公表していないからな。家に入らなかったらわからなかったな」

　自らの公表していない物を使用した大岩のセキュリティ意識を少し感じながら、由人は答えた。

「多分、今日の旅行はもしかしたらコンサートついでなのかもしれないな」　

　それを聞いた徳夫は運転しながら器用に携帯電話をいじり大岩のＳＮＳのページを開いた。二人とも大岩の友達の友達になっているので、それを覗くことは簡単にできた。

　信用できるかできないか…ＳＮＳの友達申請などの承諾にそれを考えている人は殆どいなかった。相手の事などは関係ない。自らのくだらない承認欲求を埋め合わせてくれる物であるから、多くの人間が、数字として関与してくれればいいと思っているという程度の人も多い。だからこそ、簡単に滑りこむことなどは可能なのである。

「確かにコンサートのことは書いていないな」

　徳夫は再び携帯電話を操った。そして今度は、大岩が気に入っているアイドルのスケジュールを確認する。確かにそこには大岩が旅行に行っている地域でコンサートが行われていた。

「思ったとおりだな」

　由人も自らの携帯電話で確認をしていた。

「やっぱりな」

　大岩が自らの恥部を隠すために、尚更ＳＮＳで行った地域の発信をしている事を理解したような気持ちであった。

　そこから地元へと帰ると、すぐに銀行のＡＴＭへと足を運んだ。猛を経由して、三人のバイトを雇い、数日をかけて各銀行から金を引き出していく。銀行によって引き出し上限は異なるが、一度の引き出し上限はだいたい五〇万円である。それを日に数回繰り返すことができる銀行もあるので、一日のうちに八〇〇万円程度を引き出すことが可能であった。

　約五日間をかけて、大岩のネットバンクから振り込んだ四〇〇〇万円全てを現金に変えることができた。

　最後には、全ての銀行口座を解約した。架空口座を猛からもらった時に、偽造の保険証などもあったので、それを行えば完了であった。

　ただ由人は、銀行の防犯カメラには自分たちの他に、三名の出し子がいたことが映っているために、大岩が警察に届け出を出した段階で、すぐに足がついてしまうことまでも想定している事であった。

　大岩が銀行口座から金額が減っていることに気がついたのは、由人たちが犯行を行ってから一〇日ほど経った頃であった。

　由人たちが犯行を行った日、大岩は思っていた通りに、アイドルのコンサートへと行っていた。そしてその恥部を公表しないためにＳＮＳ上では単純に旅行をしに行ったという事を投稿するために、有名な観光地を数カ所回っていた。

　その後は帰ってきてから通常通りに仕事をおこなってきたようである。大岩の堅実なところは、たとえ一億円を稼いだとしても、仕事を辞めないところであった。所詮その金が続く訳ではなく、仮想通貨で再び稼げる保証もないという事を知っている。だからこそ確実に毎月金が入ってくる仕事はしっかりと確保していたほうが良いという考えであった。

　今は再び仮想通貨で金を運用するかはわからないが、そのうち隙があればそこへとまた金をつぎ込んでも良い。そんな感じで株式投資をして、運用をしようと思っていた時に、口座から金がなくなり、送金されている事に気がついたのである。

　土曜日の休みに、パソコンへと向かい合った大岩は、ネットバンクの画面を見て驚きの声を上げた。

「なんだこの送金は…」

　その後の言葉は続かなかった。自らの記憶にない送金…一体と考えて再び画面を注視して見ると、大岩がコンサートへと行っていた日に送金が行われていることがわかった。絶対に自らが行っていない送金であるとわかる。ネットバンクへと連絡しても、今日は営業日でないために、メールを送ることしかできなかった。

　あとは警察へと届けようと、仮想通貨の儲けで購入した、田舎には不釣合いな車を走らせることしかできなかった。

　それほど人口も大きくない街の警察署は小さな物であった。自動ではない扉を開き、大岩は受付へと、逸る気持ちに押されるように小走りで向かった。

「あの事件にあったのですが、どこへ行けばいいのでしょうか」

「事件とは」

　受付に鎮座する事務員は、このような田舎町で事件など起こるはずがないと、勝手な想像の中で焦る事なく、事務的に聞き返した。それに少し苛立ちを覚えながらも大岩は答えるしかなかった。

「不正に銀行口座から金を盗まれました」

「では、あちらの刑事課へ」

　大岩の迫る口調に驚くようにして立ち上がった事務員は刑事課のある方向を指さした。その指先の方向を確認して、大岩は無言のまま刑事課へと大股で歩いた。事務員の対応に対する怒りがそこには見えていた。

「すみません」

　普段大きな事件などは起きない刑事課なのだろう。暇そうな二人の年配刑事が座っていた。大岩の声にすすっていたお茶を置き、一人の刑事が立ち上がってきた。

「はい、どうされました」

「金を盗まれたのです」

「盗まれた、どこから、いくら位ですか」

　田舎で起きる盗みなど大した金額ではないだろう。大岩と対峙した安部は驚くようすもなく、メモ用紙を手に取った。

「銀行口座から、四〇〇〇万」

　大岩の答えに安部は思わず口を開いた。申告された大金を大岩のような若者が持っていることもそうであるが、銀行口座という言葉も的をえていないように思えたからである。

「銀行口座というと、会社の金か何かですか」

　まだ大岩が大金を持っているという事に現実味を帯びていないと思っているのか、安部は会社という事を出した。先ほどといい、今回といい、なぜ被害にあった自分が警察に来て更なる苛立ちを覚えなければならないのか、それを思うと大岩は少し不機嫌な表情になった。

「自分の金ですよ」

　語気も強くなっていたのだろう。それに反応するようにもう一人の刑事である定年間近と思えるような白髪で禿げ上がった頭の屋蔵が椅子から立ち上がった。

「ちょっとこっちに来て話しませんか」

　穏やかな口調で大岩を招く素振りを見せた。安部よりも屋蔵の方が親身になって話を聞いてくれるかもしれない。そんな印象を持った大岩は、奥にある机で屋蔵と向かい合った。安部は机の横に座り、メモ用紙ではなく、今度は帳面を持って座った。先ほどよりも本格的に聞くという意思が見えるような気がして、大岩としてはやっと警察に来たという印象になった。

「さっきの話を何となく耳に入れた程度だったので、お手数でしょうが、もう一度話をしてもらえますか」

　屋蔵の口調はのんびりとしたものであった。しかしそれは被害にあった感情を落ち着かせるという感覚で、大岩も少し深呼吸をするように落ち着いて話をしようとしていた。

　その時に、ネットバンクの口座の動きを印刷してきた事を思い出し、机の上へと取り出した。

「これが私の口座なのですが、この日に一〇〇〇万円が四回送金されています。私が送金したものではないので、誰かが不正に送金したものだと思います」

　屋蔵と安部は大岩が持ってきたネットバンクの記録を確認した。確かに大岩が言うように合計四〇〇〇万円の送金が記録されている。

「このネットバンクの送金を、他人がやるということはできるの」

　屋蔵はネットバンクの事はあまり良くわからなかった。通常の実店舗がある銀行でも、余程の事がなければ本人以外の人が送金を行うということは不可能ではないかと思えた。ＡＴＭでは暗証番号や指紋、静脈認証などが今では必要である。窓口でも本人確認、もしくは委任状などがなければそれを行動に移すことはできない。

「できるというか、やられたという感じです。ただ方法までは私も」

　大岩は自らがやっていないという事しか話をすることはできなかった。

「方法がわからないというとね」

　安部は難しいという感じで口を挟んだ。大岩は先ほどの受け答えの印象が悪かったからなのか、お前に話をしているのではないという感じで安部を睨んだ。

「方法を調べてもらうことはできないのですか」

　大岩が苛立つような口調で答える。

「できるかもしれないが、専門の人を呼ばないと駄目だろうから、もしかすると日数はかかってしまうかもしれないね。

　あと申し訳ないが、あなたがやっていないという証拠もないと、進まないかもしれない」

　屋蔵は冷静に事を進めようとして言葉を選んで言った。

「わかりました。今度この日にちに私が旅行に行っていた証拠を持ってきます」

　これだけでは事が運ばない。それを仕方なく理解した大岩が答えた。

「でもネットバンクだと、出先でも通信さえできれば送金は可能なんじゃないですか。場合によっては被害届けを出して、ネットバンクの保証によって金を取る詐欺なんていうのもあり得るかも」

　またしても安部であった。大岩は本当に感情を逆なでする人間がこの様の中に存在するのだと、改めて痛感した。

「どこでもネットバンクだと送金できるのか…確かにそれを考えると難しくなるだろうな」

　屋蔵は知らない物という認識で安部の意見も取り入れるようにして言葉を出した。

「とりあえず銀行に行って聞いてみるしかないのかな」

　しかし安部とは違い、大岩を疑っているという感じの話し方ではなかった。

「ネットバンクですから、実店舗はないと思われますが」

　屋蔵の言葉に安部が反応した。

「そうか、じゃあとりあえず運営している所に連絡をして聞いてみるしかないのでしょう。その上で送金先などを確認してみるしかないのでしょうかね」

　屋蔵は大岩の納得を得るように話をした。相変わらずのゆっくりとした口調だけは変わらなかった。

「はい、兎に角調べてもらいたいのですが」

　大岩はそれで納得する以外には、どうしようもないと思っていた。今日はこれ以上の進展はない。仕方なく自宅へと帰っていくが、背中には重たい荷物を背負ったような感覚がこびり付くように残っていた。

　翌、日曜日ももちろんネットバンクへの連絡などもできることなく、月曜になり、朝から仕事をするしかできなかった。

　自分で金銭の運用をするために厳格な規則を作っていたが、口座の確認を毎日するというような事はしていなかった。それが悔やまれ、なかなか仕事に手がつかなかった。ネットバンクからのメールは未だに来ない。それを待つ以外に現在やれることは大岩には何もなかった。

　それにしても安部が言うように、どこから送金されたのかはわからなかった。ネットさえ繋ぎ、自らの口座へと入り込むことさえできれば送金をすることは可能であった。しかしながら、頻繁に投稿をしているＳＮＳにすら恥部としてアイドルファンということは公表をしていないし、そこからパスワードを作成したことももちろん誰に話をしたことはない。

　アイドルの応援のときに知り合った人間に口座のことがばれたのか、とも考えたが、ファンの間で仕事のことすら話をしたことはない。そんな人間がネットバンクの大金を保持していることさえ知らないのだろうから、そこに入り込むリスクを考えれば、それを行うような人間はいないと思われた。

「ちくしょう」

　在宅であるから、与えられている仕事さえ済んでしまえば、他の時間は何をしても良かった。この一週間の間に終えるべき仕事…本来であれば月曜日から集中して金曜日にならないうちに終わりにする予定であったのだが、気持ちが事件の事にばかり動いてしまい、手につく感覚がなかった。

　パソコンがある部屋から出て、アイドルの写真が飾られている部屋へと大岩は移動した。いつもであればこの空間に入れば確実に落ち着くはずであった。しかし今はこの空間へと身を移しても、落ち着くどころではなかった。なぜこのアイドルの誕生日をパスワードにしたのか…そんな悔やまれる気持ちが湧いてきてしまうのであった。

　その頃、安部と屋蔵は土曜のうちに連絡を取っていたサイバー捜査班から天音が着ていたために、大岩の事件について打ち合わせに入っていた。

「ネットバンクからの不正送金でしたね」

　天音が確認をするように言った。

「大岩さん本人が送金したことなどは考えられないのでしょうか」

　安部が以前から疑問に思っていた言葉をぶつける。

「まあ確かにネットに繋げる環境があればどこからでも送金はできるでしょう。とりあえずネットバンクに連絡を取って、送金先の銀行を確認することと同時に、どのパソコンから操作したかもわかれば聞いてみましょう」

　今後の方針を言うと、天音は出された茶をすすった。

「パソコンの特定もできるのですか」

「ええ、ネットバンクで調べてもらえるでしょう。もちろん場所ではなく、どのパソコン、もしくは他の通信機器を使ったかはわかると思います」

　驚くように言った屋蔵の言葉に、天音は冷静に返答していく。

「じゃあ送金された四つの銀行を調べたら、その口座の金の動きを調べていきましょう」

　屋蔵が自らの動き方を話はじめた。

「とりあえず、ネットバンクへと出向きましょう」

　天音が席を立った。電話などのやりとりでは実際に警察かどうかなどはわからないために、本人が出向き、警察手帳を見せるしか方法はなかった。

「どこまで行くのですか」

「東京ですね。この辺りに支店はないようなので、一番近いのは東京本社のようです」

「じゃあ駅まで送りますよ」

　安部は車を出した。そこに天音が乗り込む。

一人残った屋蔵は、今後自分たちの知識だけでは解決できないような事件が増えていくことを感じていた。

　そんな気持ちを払拭するために煙草でも吸おうかと考えたが、取り出した電子タバコを見てやめようと思った。

　数年前から所内は禁煙になっていた。喫煙所は署の裏に儲けられた雨ざらしの場所である。わざわざそこに行くのであれば、煙が出るちゃんとした煙草を吸いたかった。ただニコチンを摂取するためだけの物を、今は吸いたくはなかった。

　やはり先ほど考えたような、ネット社会における犯罪などと同じように、電子煙草なども、自分たちの及ばない世界になっていくような気がしてならなかった。この先どこへ世界は向かっていくのであろう。

　そんな壮大なことを考えてしまうが、自分のちっぽけな頭で、そんな尊大な事を考えるということはできないと屋蔵は考えることを放棄した。それほどかからない数年のうちに退職を迎えるということも、放棄の理由にはなったのだろう。

　大岩の元へは、一通のメールが届いていた。先日の問い合わせに対するネットバンクからの回答であった。

【ご連絡いただき、ありがとうございます。

　先日問い合わせいただきましたメールの中で、不透明な送金が四件あったという話でしたが、使用されたパソコンに関しては、いつもご登録されているパソコンからの操作で行われておりました。

　ご自身の送金ではないという話がありましたが、もしもご一緒されているような方がいらっしゃるようであればご確認していただければと思います】

　そんな簡単な返答であった。

　自宅、今自らが操作しているパソコンというネットバンクからの話である。もちろん自分がコンサートへと出かけていた時であるために、自分が行うなどという事は不可能である。しかも同居者がいない状態を考えると、誰かが不法に侵入して行ったとしか、考えることはできなかった。

「家に入るって」

　大岩はこの地域の事を考えていた。昔から住んでいる人たちは、寝る時間でさえも自宅の鍵を閉めない人が、未だにいるくらいである。それくらいノンビリとした地域である。そんな中でこの地域に住んでいる人たちが、わざわざ大岩の自宅へと入ってくることはないと思われた。

　しかもネットバンクに金を大量に保有しているなどということも、誰にも話をしたことがないので、地域住民を疑うという考えはおきなかった。もしかすると凶悪犯がどこかから逃走をして、入り込んでいたのかもしれない。数年前にあったようなニュースを思い出し、そんな事が本当であるのならば、気持ちが悪いとしか考えられなかった。だがもしもそのような事があったとしても、その人間がネットバンクの存在を知り、送金をする口座を持っているなどは考えられなかった。

　とりあえず警察へと連絡をして、自宅の中を捜索してもらうしかないと思った。けれどもコンサートから帰ってきた時に違和感を覚えなかった室内をどのように捜査してもらうのか…本当にネットバンクの存在だけを知り、それだけを盗みに来たのだろうか…。

　それを考えた時に、勝手口に置いてある鍵は早急に片付けなければならないと大岩は思っていた。

「ネットバンクの話では、今までと同じパソコンからの送金という話でした」

　翌日、天音がやってきて報告をしていた。そして送金先の銀行名を告げる。

「それを考えると、コンサートへと出かけていた大岩が自ら送金をするという事は考えられなかった。ただ遠隔捜査という話は…様々な憶測だけが飛び交っていた。

「各銀行から、口座の照会もできました。全ての口座は東京の支店のものですね。しかももう金額は全て下ろされて、その後解約もされているという話でした」

　天音が全ての銀行を回って調べてきたという話であった。

「とりあえず下ろされたと見られる防犯カメラを確認させてもらって、人物を特定するしかなさそうだな」

　屋蔵がこれからの捜査方針を打ち出した。これによって都内に行くことが確定した。

「こちらにある支店に行って、映像が取り寄せられるか確認してみましょう」

　安部の意見であった。確かに闇雲に都内の金融機関を回るよりも無駄ではないと思われた。

「それにしてもネットなんて物ができたことによって、随分と犯罪も変わったな」

　金融機関へと向かう車の中で、屋蔵はポツリと呟いた。

「確かに、今までに存在しなかった犯罪ですからね。俺俺詐欺にしても、犯罪は年々巧妙になってきていますからね」

「けれども俺俺詐欺なんて確かに巧妙になっているが、日本特有のものらしいからな。犯罪の多い海外の地域によっては、あんな犯罪は子供でも引っかからないなどと言われるくらいだ」

「日本がいかに平和ボケしているかという事なのですかね」

「平和ボケじゃない。悪意に対しての経験が圧倒的に少ないからこそ、警戒心がないのだろう」

　屋蔵は少しだけ被害者を莫迦にするような安部の言葉に対して、いつもよりも少しだけ強い口調で答えた。

　それにしても天音が集めてくれた金融機関から金を引き出している時間帯は、窓口が閉まった後の時間が多い。わざわざそんな時間を選んでいるのか、それとも選ばざるを得ないのか…。もしもその時間を選らばざるを得ないのであれば会社員などということも考えることができる。組織的に犯罪を実行するのであれば、昼の時間帯に動くことが充分にできるはずである。

　だが報道などで言われている出し子という存在を使う場合にはどのような時間帯が有効なのであろうか…屋蔵としては、頭の中が何回転してもわからないような感覚であった。

　そんな翌日、大岩からの連絡を受けて、屋蔵と安部は大岩の自宅へと訪れていた。

「私たちもネットバンクからは、いつものパソコンが使用されていたと聞きました」

　天音から聞いていた話が大岩から口にされて、安部は答えた。

「それを考えると、誰かがこの家に入ったという事になると言うことでしょうか」

　大岩はやはり犯罪であると言いたいようであったが、安部は遠隔操作などの疑いが無いのか、腹の中では考えていた。しかしそれを今は口にするべきではないと思っていた。

　大岩は警察が自宅に入ること、というよりもアイドル部屋へと入ることを嫌がっているが、そんな事を言っている場合ではないし、警察の守秘義務という観点から仕方が無いと割り切ることにしていた。

「確かにそう考えるのが通常でしょう」

「そうですよね。ですから一度自宅に侵入した形跡があるかないかだけでも調べてもらえませんでしょうか」

　それを聞いた屋蔵は午後に鑑識を呼んで調べてみることにした。だが大岩がコンサートから帰ってきた時に、違和感を覚えなかった部屋の中で、証拠と思えるような物は発見できなかった。指紋も足跡も特定できない。もっと力を入れてやるのならば方法は他にもあるのかもしれないが、大岩の自宅を調べるということは、そんなに重要視されていなかった。

　それから数日したのちに、金融機関に頼んでいた防犯カメラの映像が入手できた。ただ金融機関もそれなりの配慮をしたので、特定の口座の下ろした時間を切り貼りしたものを渡してくれたのみであった。その点ではある種捜査は楽ができたと、屋蔵も安部も思っていた。

　出し子は特に顔を隠したりはしておらず、六名ほどの男が確認された。そのうちの一人は窓口で口座を解約しているので、この男が黒幕ではないかと思われた。

「この男が実行犯ですかね」

「口座の解約まで出し子にさせていなければそうなる可能性は高いな」

　何となく屋蔵も安部もそう感じていたが、実際この男をどのように確保するかが問題であった。どこかで過去に犯罪でも起こしているのであればすぐに割り出すことは可能であると思えるが、それはあくまでも自らの願望であり、実際には雲を掴むような考えであると屋蔵は考えていた。

（四）

「猛、悪いんだけれども、あの口座を解約してきてくれないか」

　今まで女を襲うという犯行時以外、あまり会うことのない猛に、由人はわざわざ口座の解約を頼んだ。

「何に使ったかわからない口座を解約するなんて、ちょっと危ないな」

　猛はできればやりたくないという事を遠回しに言った。自らが犯罪者として捕まることは嫌であった。しかし猛は金と女に執着する。それは今までの付き合いの中で充分に理解していた。

「見てくれ、この口座には金が残っている。四つの口座全部を合わせれば、一〇〇万近くにはなるだろう。それが解約の報酬だと、今回の雇い主は言っている」

　あくまでもこの口座は知人が使った。由人はそういう設定で猛に話を持ちかけている。主犯は自分たちではない。それを強調した。

　猛は一瞬、一〇〇万円という金額に表情を動かした。それと共に気持ちが動いているに違いない。由人はそんな感情を動かすために、更に追い打ちをかけた。

「もしも口座の解約で足が着いたとして、猛が警察に連れて行かれることがあっても、出し子として頼まれたという話をすれば、それほどの罪にはならないだろう」

　罪の重さと金の重さを天秤にかける。どうせ出し子の受ける罰がどれほどのものか、猛が知るはずも、考えるはずもないと由人は思っていた。

「一〇〇万か…」

　猛の中で、罪と金が振るいにかけられていく。そのように思えたが、猛の頭の中では由人が考えていた事とは異なり、一〇〇万円の皮算用がされているだけであった。

「どうだ」

　由人が再び背中を押す。

「俺も出し子として、この口座を使った知人から少しの金を貰った。もしも口座の解約をやってくれるのであれば、風俗の一回くらいは連れて行くぜ」

　自分が実行犯ではない、しかし少額は貰っている。それで説明は充分であった。同じ罪を共有している、その上で風俗まで奢るというのである。猛の気持ちは完全に傾きかけていた。

　実際には、四〇〇〇万円を大岩の口座から不正送金をして、出し子を使って下ろして現金化した中で、大岩の自宅に行った交通費と、出し子たちへの報酬などを考えても、ゆうに三九〇〇万円以上の金が残っている。後は徳夫とその金額を分配するだけであった。

　徳夫と由人は警察に捕まった時のことまで考え、二人で話し合いをしていた。猛に言ったように、あくまでも出し子として話をするだけであった。主犯ではない。そう思わせることが大切だと考えていた。

「俺は吉原の高級店には行ったことがないんだ」

　由人が思ってもいない言葉を、猛が切り出した。そこを奢れば口座の解約を実行するという意味であった。それで話は成立した。

「わかった。まあ俺の報酬はそんなに大きくはないが、高級店には俺も行ったことがないからな。一緒に行くか」

　由人は猛の手を取って、固く握手をした。

　後日、解約した口座を猛が持ってきた。それを由人は焼却処分したのちに、二人で吉原の風俗へと向かった。

「どうだった」

「ああ、やっぱり高級店は良かったよ」

　猛は大変満足気であった。この男はこの程度なのであろう。確かに由人も性欲は人並みにあるが、猛の物とは異なると感じていた。だがそれは由人の考えるもの以上へと変わっていた。今まで数回の犯行で、単純に受け入れてくれる女ではなく、抗う女を無理に支配するという、性暴力による支配欲も手伝っていた。それが快感へと猛の中で変化していたからであった。その答えは続く言葉に含まれていた。

「しかしな。やっぱり違うんだよ」

「何が違うんだ」

「良い事は良いが、襲うのとはな…」

　由人ははじめて猛の性欲に危うさを感じていた。猛を引き入れなければ、仮想通貨で儲けた大岩から、大金をせしめるという行為には及ばなかったかもしれない。けれどもその性欲の危うさから足がつくかもしれない。それを危惧してしまった。

　由人のその考えは、それほど時間をかけずに証明された。

「昨夜、帰宅中の会社員の女を襲ったとして、無職の中森猛容疑者二六歳が逮捕されました。

　いつものように由人の家で、缶ビールを飲みながらニュースを見ていた徳夫が、パソコンの前に座っている由人を呼んだ。

「おい、猛が捕まったぞ」

「やっぱりな、最近のあいつはおかしいと思っていたんだよ」

　由人は椅子から立ち上がり、居間にいる徳夫のところへと歩きながら、途中で冷蔵庫から缶ビールを手に取り、歩いてきた。その間にテレビ画面は次のニュースへと入れ替わっていた。　

　徳夫は由人が来たので、他の番組でも猛のニュースがやっていないかと、リモコンをいじったが、他では猛に関するニュースはやっていなかった。

「これで俺たちにまで捜査が及ぶかもな」

　由人は冷静に答えた。

「今までの暴行のこともかな」

「さあ猛がどこまで話をするかはわからないが、どこかで俺たちに行き着く可能性はあるだろうな。

　ただ暴行よりも大岩の件の方が遥かにわかってしまうだろうな。俺たちも含めて出し子は防犯カメラに映っていることは確かなのだから」

「大岩が警察に届けていることが前提だろう」

「もちろんだ、しかしあんな大金だ。大岩は確実に警察に行くだろう。まぁ、俺たちが捕まるのも時間の問題だろうな」

　徳夫はそれを聞くと、自らの身の心配のためか、テレビの音が雑音に聞こえるように思えたのか、電源を落とした。

「まあ、前にも話をしたように、俺たちはあくまでも出し子として仕事をしたという話ししかしないようにしよう。

　対応としてはそれと前に話をした通りにすればいい。どうせ猛も俺たちが主犯として盗んだ金とは思っていないはずだろう。

　頼まれたと言っても、あくまでも主犯の事は白状できない。俺たちが危険になる。もしくはネットで話をしたくらいで、会ったこともないという事にしておけばいい」

「後は逮捕をされた時に、俺たちが精神的に耐えられるかどうかだけか」

　徳夫は逮捕をされる事を前提に話をした。由人もそれを覚悟しているようであった。

「屋蔵さん、昨日のニュースを見ましたか」

安部は出勤するとすぐに屋蔵に詰め寄った。

「何だよ、何かあったのか…。特に昨日は何も見ていないけれど、」

　安部のいきり立つような勢いに、屋蔵は押されるようにして答えた。

「昨日、都内で起こった婦女暴行容疑で捕まった男がいたんですよ。その男が、大岩のネットバンクから送金された口座の解約に来た男と似ているような気がしたんですけど」

　その内容を聞くと、安部が逸る気になっていることは理解できた。しかし同じような感情で自分が動くわけにはいかない。屋蔵はあくまでも冷静に判断しようとしていた。

「とりあえず画像を確認してみよう」

　屋蔵はそういうと、安部と共に防犯カメラの画像を確認しはじめた。その時にパソコンを開き、今朝の婦女暴行の犯人の顔を見ることも忘れなかった。

「今、カウンターにいる奴が、犯人と一緒なのか」

　ちょっとわかりにくい防犯カメラの画像に写る男と、パソコンの男の顔を見比べる。角度が違うせいでわかりにくいのか、屋蔵は防犯カメラの画像と、行き来させながら凝視していく。

「ここがわかりやすいです」

　安部が気になったタイミングで動画を静止画へと変えた。

「確かにそっくりだな」

　屋蔵がやっと判別できたのか、パソコンの画面に映る婦女暴行犯の顔に、瓜二つの顔をやっと把握した。今度こそ、警視庁へと捜査依頼をしなければならない。確証がそう考えさせていた。

「警視庁へと連絡しますか」

　安部も同じ気持ちであった。その問いかけに屋蔵は頷いた。

　しかしこれで解決するという訳ではなかった。現段階ではただ似ているというだけである。もしも同一人物と仮定して、出し子の中森猛を捕まえたとしても、それで黒幕である真犯人へとたどり着くとは到底思えなかった。しかもだいたいの場合に出し子は黒幕を知らないことが多い。ネットやちょっとした勧誘などで依頼を受ける事が多いからであった。もし万が一黒幕の存在を知っていても、その後の自らの保身を考えると、容易に口を割るとは思えなかった。

　安部は電話の受話器を置いた。警視庁との話はすぐに済んだようであった。

「屋蔵さん、明日の一三時に取り調べに行ってもいいという事でした」

「一三時か、わかった。じゃあ電車の時間を調べておいてくれ。

俺はちょっと煙草を吸ってくる」

　屋蔵はそう言うと先日購入した紙巻煙草とライターを机の引き出しから取り出して屋外の喫煙所へと向かった。

　まだまだ続きそうな捜査を考えると、先が見えてきたとは言え、思いやられる気持ちであった。黒幕まで辿り着くことができるのか…それとも出し子たちを捕まえて終わりになるのか…そこには大岩の意思も絡んでくるものと考えていた。それを思うと、気分転換をせずにはいられなかった。

　喫煙所で久しぶりに煙の出る煙草を吸った屋蔵は、紫煙の流れていく先を見つめて、先の事を少しだけ考えていた。事件のこともそうだが、もう少しで終わる警察官人生の後のこともであった。

　翌日、屋蔵と安部は鈍行列車で金をかけずに、時間をかけて都内へと出た。

「中森猛は、今回のような詐欺は初犯みたいですね。しかしながら以前に窃盗で逮捕歴があるようです」

　電車の中で、周りに人がいないことを確認してから、安部は話をはじめた。

「前があるのか、しかし組織などを起こすような犯罪歴や情報はないんだな」

　屋蔵がいつものようにのんびりとした口調で答える。そして電車に乗る前に売店で購入した缶コーヒーを一口喉に流した。

「そうですね。現在の時点でそのような情報はありませんから、本当にアルバイト感覚でやったのかどうか…」

「アルバイト感覚でやったのであれば尚更裏で犯罪を計画した黒幕に辿り着くのは難しいか…」

　屋蔵は昨日考えた通りに、解決には時間がかかりそうだという事を改めて考えていた。

　都内へ着くと、バスを使い、猛が拘留されている所轄へと向かった。

「昨日連絡を入れている屋蔵ですが」

　受付で警察手帳を提示してから、刑事課へと案内をされた。そして取り調べ室で屋蔵は猛と向かい合った。

「君が強制性交罪で捕まった中森猛さんだね」

　ゆっくりと、丁寧な口調で面倒臭そうに正面に座る猛に対して屋蔵は話しかけた。猛は今までの刑事とは違う刑事の登場に何も答えようとしなかった。

「中森猛さんでいいかな」

　再び屋蔵が話しかける。刑事が変わったということは、今回の強制性交罪ではなく、他の余罪についての調べかもしれない。猛は嫌な気持ちの中で口を結び、そんな事を考えていた。俺俺詐欺の受け子などもそうだが、由人や徳夫とやった強制性交罪や口座解約の出し子としても、自らの余罪の事は幾つか考えることはできた。

　屋蔵は嫌がる表情の中に、今回の逮捕のみならず、他の件で自分たちが着ていることを警戒しているのではないかと猛の表情を読み取った。

「中森猛、返事をしろ」

　安部が答えない猛を相手に、少しだけ大きな声を出した。その相手に対して猛は目に力を入れて睨みを利かせた。

「だったら何だって言うんだよ」

　少し虚勢を張るような言い方であった。そして余罪のことに触れないようにと思い、今回の事件の事を話しはじめた。

「あんたたちが言うように、中森だよ。

しょうがねえだろう。結構いい女だったんで襲いたくなったんだよ。前の刑事にも言っただろう」

「そうだったのか、まあ、その話しじゃあなく、他の話をしよう」

　やっと口を開いた猛を相手に、急ぐ素振りをみせずに、しかし余り時間をかけたくないのか、屋蔵はすぐに本題に入ろうとしていた。

「他の話って…」

　しらばっくれるようにして猛が言った。ここで平静さを失ったら一気に攻めてくる。なぜか屋蔵の眼光がそう語っているように思えてならなかった。

「最近、銀行に行かなかったかい」

　静かな言葉であるが、重いものが乗っかるような屋蔵の言葉であった。

「銀行って、用事があれば行くじゃないですか、行っちゃ駄目ですか」

　何だか視線を合わせると、ゆっくり話をする屋蔵の口調と異なる眼光に押されるような気がして、猛は悪態をつくようにして視線を逸らした。

「それもそうだな、駄目ということは無いけれども…じゃあ幾つの銀行に行ったか聞こうか…」

　屋蔵の言葉に猛は由人がらみのことに対して聞き取りに来たことを悟った。

「銀行だって幾つもあるんだし、いいじゃないですか」

　まともに話をしようとするが、どうしても型どおりの話し方ができない。

「中森さん、貴方は名義が違う四つの口座を解約しましたね」

「解約、さあ」

　猛はとりあえずとぼけるしかないと思っていた。しかしながら安部は言い逃れできないように、パソコンを出し、防犯カメラの映像を映し出した。そこには四つの銀行の窓口にいる猛の姿が映っていた。

「ちゃんと調べはついているんだ」

安部が屋蔵とは異なる少し強い口調で言った。猛はその映像を見て、奥歯を少しだけ噛んだ。

「…」

「ちゃんと金融機関でも確認ができている。どうです中森さん、なぜこの口座を解約したのですか」

　猛はどうとぼけるべきか、頭の中で考えを巡らせていた。

「この口座には、不正送金された金額が入っていたものです。中森さん以外の人間がＡＴＭなどを使用してほとんどの金額を下ろし、最後にあなたが口座を解約しています。どうしてＡＴＭではあなたではなく、他の方を使って下ろしたのですか」

「使ってって、何だよそれは…ちょっと待て、俺が下ろさせたっていうことはないだろう。

　俺は頼まれて解約をしただけだ」

　自分がやったこと以上の罪をきせられている。そんな事を思うと、猛はすぐに否定するように答えた。直情的な猛はすぐに馬脚を現した。

「中森さんの指示ではないのですね」

「俺は解約したら残っている金額を全てもらっていいと言われて解約しただけだ」

　猛は何とか言い逃れをしようとする勢いだけで話を進めていった。

「解約した時に、偽造の保険証を使ったと聞いていますが、それはあなたが用意したものではないのですか」

「だから俺はアルバイトみたいなもので、詳しい内容は聞いていないって…。ただ保険証などを使えば平気だって言われただけで…」

「ではあなたの考えで偽造した保険証を使ったわけではないのですね」

　屋蔵の言葉が、少しずつ猛を追い詰めていく。圧力で猛は逃げ道を失いそうになっていた。

「知らないよ。とりあえずこれを解約してくれって言われただけだ」

「じゃあ、頼んだ人は知り合いですか」

「いや、とりあえず頼まれただけで、そいつが誰とは知らない」

　ここで由人の事を言うことだけは避けていた。そこで安部は数枚の写真を出した。それは四つの口座から、猛以外にＡＴＭを操作して金を下ろした五人が個々に映っている写真であった。その中には由人と徳夫も混ざっていた。

「この中で知っている人はいますか」

　屋蔵の言葉に押されるような気がしないではないが、猛はなるべく動揺を隠すようにして答えた。しかも由人や徳夫との関係がばれてしまえば、四件のＳＮＳで物色した女たちを襲ったことにまで罪に問われるかもしれないと考えてた。

「さあ、知らないな」

　相変わらず警察とはしつこいものである。単純にそれをかわす方法だけを考えようとしていた。

「とりあえず受け取った口座を解約して、残りの金をもらった。それだけだ」

「その依頼者とはどこで」

「風俗だよ。店を出たところで声をかけられたんだ。金が欲しかったから、言われた通りに解約をしただけだよ」

　これ以上は言いようがなかった。そのまま押し通すことしか猛は考えていなかった。しかし本当に口座の件に関して猛は何もしらないのである。屋蔵はそんな猛の目を見た。実際にそれ以上のことはしらないように思えなくは無い。それでも不正送金の件に関して、ここで諦めるわけにはいかなかった。

「そうか、あくまでも首謀者は知らないという事なんだな」

「ああ、そうだ」

「そうか、私たちは不正送金の件に関してだけを調べているから仕方が無いが、君には出し子としての罪を償ってもらうしかないだろう」

「出し子の罪なんて、どうせ軽いものだろう」

　猛は実際に出し子がどのような判決を言い渡されているかなどは知りもしなかった。

「どの程度かは知らないだろうが、君は罪に問われる…もしも他の出し子の事を知っているようであれば、話しをして欲しい」

　屋蔵は諦めるような口調で言いながらも、反対に閉まらないようにボリボリと頭を掻いた。しかしながらここからも勝負であると考えていた。

「出し子の罪なんて、人数が多いほうがいいのにな」

　安部が屋蔵の後に続くようにして言った。猛にはそれが何であるかなどはわからなかった。しかし罪を償う人数が多いほうが良いという意味は知りたかった。

「人数が多いほうがいいって、どういう事なんだ」

　思わず安部の言葉に反応した。

「今まで君のような出し子の判決では、弁済計画がしっかりとしていなければ、執行猶予は付かない。もしも執行猶予をつけたいのであれば、全額返済しかない。

　今回の場合には、四〇〇〇万円の罪だ。これを弁済して、相手の起訴を免れるか、もしくは弁済を約束した上で、執行猶予が付くか…そんな感じだ。

　もしも中森さん、あなた一人だけでこの罪を償うことになるとしたら、四〇〇〇万円を用意するか、それとも実刑を受けるかしかないという事です」

　安部がそれだけを言うと、屋蔵は立ち上がった。

「不正送金の件を調べているので私たちはこれで帰らせていただきます。だが不正送金をした人が見つからなければ、出し子に償ってもらうしかないでしょう。

もしも気が変わった時には、こちらの警察の方にでも話をしてみてください」

　椅子に座ったままの猛は、考え込むでもなく、下を向いた。今回の強制性交罪もあり、罪というものは大きく肩に押しかかるようであった。

　その姿を今一度視界に入れてから、屋蔵と安部は取り調べ室を出て行った。

　二人は帰りの電車の中で、東京に出る時に思っていた通りに、猛が口を割らなかったことを、ある種仕方がないと考えていた。しかしながら主犯がわからなくても猛を罪に問うことはできることは理解していた。

　誰がどのように盗んだかは、未だにわからなかったが、ネットバンクとの交渉もあり、セキュリティの問題から、大岩に対して多少の保証をするという事が大岩に提示された。

「それにしてもアルバイト感覚の出し子が罪を負わなければならないという点では、それによって利益を得ている奴らが、変わらずに存在をするという事になるわけですよね」

　安部は主犯に辿りつけないということから、少しやるせない気持ちで言葉を出した。屋蔵はそんな安部の事を見ずに答えた。

「やりかたとしてはこれ以外にないだろうな。被害者である大岩さんの事を考えると、主犯を捕まえるよりも、金額が返ってくること、それが一番の方法だからな。

　首謀者たちを追い込むためには、出し子をしている人たちや、今後やろうとしている人たちに、やった場合の不利益を教えて、加担する気持ちを無くすということしか俺たちにはできないだろう」

　どこかにしわ寄せが行ってしまう事は、ある程度抑止という点では仕方がないと考える以外、二人の気持ちを救うことはできなかった。力不足もあるが、法律が新しい世の中に適応していく速度が合っていない。そんな点も簡単にはいかない事を理解している上での言葉であった。

「昨日来た警察に伝えてくれないか」

　一晩経った時に猛の気持ちは決まっていた。取りあえず由人と徳夫の事を伝え、自らの罪を軽くしようということであった。多少なりとも仲間を売ってしまうという呵責はあった。しかしながら猛としては、由人も徳夫もただ頼まれただけの出し子であり、それほど深刻に考えての行動ではなかった。ただ自分一人に四〇〇〇万円の金額がかかってくることには耐えることができなかった。

「何を伝えようというんだ」

　金額がそれなりであるので、猛を捕まえた警察でも、大岩の事件を少なからず追うことが決定していた。聞き出すだけ聞き出して、後々屋蔵と安部に伝えればよいと思っていた。

「昨日言われた出し子の件だ」

　強制性交罪はもう起訴されるだけである。猛も罪を認めている。その上で大岩の話しであることは、言われなくても理解していた。

「共犯の奴のことか、もしかして主犯の人間まで知っているのか」

「それは知らない。俺と同じで出し子のバイトの人間だ」

　半分はすまないと思いながらも、猛は二人の名前を挙げることに躊躇はなかった。

「誰だ」

「その前に、俺から聞いたと言わないでくれないか」

　そこが問題であった。自らが口を割ったという事を由人と徳夫には伝えて欲しくはなかった。そこには自らの保身が働いていた。

「どちらにせよ、こっちでも捜査しているんだ。お前が言わなくてもいずれ捕まる」

「じゃあ言わなくてもいいのか」

　猛は安堵するように身体を弛緩させた。自らが仲間を売らなくていいのであればそれにこしたことはないからである。

「だが捕まえるのが先になると、確実にお前は起訴されるぞ」

　それはある種の脅しのようなものでもあった。猛は仕方が無いと口元に力を入れた。

「奴らの居場所はしらない。けれども名前は知っている」

「その名前は」

　迫るような眼光で警察官は猛を見た。その眼が本当に好きにはなれない。猛はそう思いながらも、口を開いた。

「張本由人」

「名前しかわからないのか」

「ああ」

　他の事は多少はわかっている。しかしそれだけで充分だと思った。所詮名前がわかればすぐに警察が由人を割り出すことは可能だろうと思ったからだ。

「わかった」

　聞いていた警察官は、すぐに動き始めた。　　

　張本由人の名前を照会すると、犯罪者リストにはないが、免許書から割り出すことができる。その写真を一度猛に見せて確認を取ってから、警察は動き始めた。

　すぐに由人の自宅には警察が訪れたが、留守であった。

　その日、由人は徳夫と共に、車で田舎へと出かけていた。由人の母方の墓参りをしていたのである。

「どちらにせよ、俺たちも捕まえうだろう」

「わかっている。その時はその時だ」

　由人の言葉に、徳夫は自らの覚悟をはっきりと言った。

「俺が捕まったら、全ての出し子を白状する。そしたら後は弁済をすることにして、起訴されないようにすることだな」

　由人は最後まで計画を立てていた。安部が猛に言ったように、出し子全員で四〇〇〇万円を弁済するように仕向けるという事であった。それによって、自分たちが少なからず金を手にすることができるようにであった。そして起訴されなければ前科がつかずに、その金を使って何かをすれば良いと考えていた。

「そうだな。じゃあ逐一報告をしてくれ」

　由人の自宅近くで、徳夫はセダンを止めた。今まで使用していたワンボックスカーは友人に借りたものであった。セダンはレンタカーで借りたものであった。なるべく足がつかないようにという由人の考えであった。

　由人の内偵をしている覆面パトカーの中から一人の警察がセダンに気がついた。

「あの車を運転している奴、あいつも出し子をやっていた奴に似ているな」

　本の一瞬ではあったが、覚えている顔に対して反応した。

「そうか」

　助手席に乗る警察官は、徳夫の顔を凝視した。確かに似ている。

「今捕まえている中森の他に、張本、それ以外に後四人だったよな」

「そうだ」

「ちょっと張本は後回しにして、あのセダンを追ってみようか」

　覆面パトカーは由人を下ろして走り出したセダンを追った。由人がそのセダンから降りたことも確認済みである。二人の接点があるからこそ、徳夫の方を調べてみようと思ったのである。

　レンタカーを返した徳夫の自宅もすぐに割り出すことができた。

「それでは捜査方針としては、張本由人、佐久間徳夫共に、明日一番で自宅に逮捕しに行くことにします」

　捜査会議の席で、班長が言った言葉であった。現時点で、ＡＴＭの防犯カメラの映像と共に、逮捕状を請求しているのである。その逮捕状を手にして、後は二人を捕まえるだけであった。

「ピンポーン」

　由人の部屋のインターホンが鳴った。時間を確認すると午前七時であった。

「もうか、結構早かったな」

　由人は冷蔵庫の中にあるミネラルウォーターを取り出し、一口飲むと、玄関へと歩んだ。

「はい」

　何食わぬ顔をして、チェーンロックをしたまま玄関を開けた。

「警察です。ちょっといいですか」

　その言葉に動揺を見せないように、由人は答えた。警察官は手帳を見せて身分を明かした。

「どうしたんですか、こんな早くから」

「ちょっとしっかりとドアを開けてもらってもいいかな」

　その言葉に、一度玄関を閉めてから、今度はチェーンを取って大きく開いた。

「私たちが来たってことは、何かわかっているかな」

「何のことですか」

　あくまでもシラを切ろうとした。誰もが警察が来た時にそうするであろうと思える行動を取るほうが、逆に不自然ではないと思えたからである。

「何か警察が来る理由があるんじゃないかな」

　一気に口には出さない警察のやり方が、由人は好きではなかった。

「理由ですか、さあ」

「そうか、張本由人さんでいいんだよね」

「はい張本ですが」

「今回、あなたに逮捕状が出ているんです。不正送金された金額の出し子としてですが、心当たりはありますか」

　由人は後ろめたい表情を作り

「はい」

　と観念するように小さな声で答えた。

「数回に渡って、四つの口座から金を下ろしているね」

「はい」

「今日は、そのことで君を逮捕します。一緒に警察まで来てもらえますか」

「わかりました」

　そのまま由人は警察車輌へと乗せられ、警察署へとつれて行かれた。

「この映像に写る出し子は君だね」

　単刀直入な言い方であった。しかしそこでごねても実際に逮捕状が出ているということは、それなりに捜査をして確証を得たからであると、由人は従うことにした。

「はい」

　あっさりと認めた由人に警察は次々に質問をしてきた。

「君は、この不正送金の主犯を知っているのかい」

「いや、知りません」

　猛の時と同じように、警察はどうせ主犯の話はしないであろうと考えていたので、それほど追求はしなかった。しかしながら、他の出し子についての追求はしてきた。猛と同じように、どこかで出し子が繋がっていると考えていたからである。しかし由人はシラを切った。もしも一週間以内に出し子を捕まえたという話をしない場合に、何となくこんな人間がいたという事を言うつもりであった。

　別の日に捕まった徳夫も同じであった。しかしながら、他の四人も程なくして警察の捜査によって割り出されることとなった。

「君たちは出し子として捕まったのだけれども、このまま起訴されないようにできるかもしれない」

　国選でついた弁護士の三好は接見の時に由人にこう告げてきた。

「起訴されない方法があるのですか」

　由人はすがるような声をアクリル板越しの三好に発した。だがある意味由人に取って、この展開は幾つかの考えているパターンの中に入っていた。

「ああ、まだ不正送金をされた相手に連絡はとれていないが、君たち六人の出し子が引き出した金額、四〇〇〇万円を全額返済することができれば、起訴されることはないかもしれない。

　前科がつくかつかないかで、君たちの今後の人生も大きく変わってくると思うんだ」

　三好は人情派と思える弁護士であった。国選で早く終わらせようと思えば、それも可能であろう。しかし少しくらい長引いても、起訴されない方法を取ろうとしていた。

「確かに前科がつかない方が私はいいですが…」

「ただ四〇〇〇万円がしっかりと返済できるかどうかが問題だ」

「六人でというと、どれくらいの分割状態になるのですか」

「多分引き出した金額をそのまま返済するようになるだろうね。

　張本さんは約七五〇万円を下ろしているので、それを全額返済できれば、起訴しないでという交渉を被害者にできるかもしれない」

「七五〇万ですか」

　由人は考えるふりをした。実際に今まで通常の仕事で稼いできた給料で五〇〇万くらいの貯蓄があった。

「分割でも平気なのでしょうか」

「それは平気だと思います。後は相手次第でしょうが…」

　それを聞いて少しだけ考えこむふりをした。

「わかりました。私も貯蓄が少しはあるので、そちらを使って返済ができればと思います。起訴されなければ仕事もそのまま続けることができるでしょうから、返済計画も建てられると思います」

　それを聞いた三好は、他の徳夫、猛を含む五人にも話をして、数日をかけて返済計画をまとめて大岩を尋ねた。

「ネットバンクとの交渉はどのようになっているのでしょうか」

「一応ネットバンクもセキュリティという面で問題があったというので、五〇〇万を返済に当ててくれるという事になりました」

　ネットバンクからしたら、大岩のパソコンが使われているので、本来であれば保証をするという事はしたくなかったようである。しかしながらパスワードの問題を世間に大きく出されると問題になるという事なので、公表をしないという条件で、口止め料のような金額が支払われることになったという。

　当然大岩は納得していなかったが、それ以上の交渉はできないという話であった。

「では被害額は三五〇〇万円という事でよろしいでしょうか」

「はい」

「わかりました。今回、主犯の人間は特定されていません。しかしながら、今までの判決では出し子が返済をするというものもありました。

　そこで提案なのですが、大岩さんが起訴しないという条件で、彼らに返済をしてもらうという方法を取りたいのですが…いかがでしょう」

　三好は四〇〇〇万円として計画を立ててきた用紙を大岩の前に出した。

「先ほど言われた五〇〇万円をここから差し引いた金額で、返済をしていければと考えています。

　数年かかるとは思いますが、全て返せるように出し子の人たちには、前科がつかないで社会にそのまま残れる状態を作りたいと考えています。　

　前科がつくと仕事に就けない人もでてくる可能性があるので、できればちゃんと仕事をして返済をさせたいと考えています」

　三好は自らの事ではないが、大岩に対して頭を下げた。

「全額、本当に帰ってくるのであれば、こちらもそれで結構です」

「ありがとうございます。出し子の人たちは、所詮アルバイトですので、実際は罰金を払うという感じになることと思います。

　また仕事によっては、借り入れをして返済できる人も出てくると思いますので、くれぐれもよろしくお願いいたします」

　大岩は寛容であった。確かに返済さえされれば問題はないという金銭的なことも手伝っていたのは確かであっただろう。

　結局は、三好が大岩と話し合いの末に、由人と徳夫がそれぞれ六五〇万円、猛が一〇〇万円、その他の三人が七〇〇万円を返済するということで、合計三五〇〇万円となり、不起訴処分となった。

　大岩のネットバンクから不正送金した金である四〇〇〇万円のうち、出し子のアルバイト料などを引くと、三八〇〇万円程度が由人の懐に入ったことになる。そこから由人と徳夫の返済分である一三〇〇万円を引くと、残る金額は二五〇〇万円となった。

　由人は当初三好と話をしていた通りに、貯金の五〇〇万円を一括で返済し、残りの一五〇万円を約三年かけて返済することになった。

　徳夫は三〇〇万円を親に出してもらい、残りの三五〇万円を約六年かけて返済することとなった。

　猛はほとんど金を使っていなかったので、一括で返済。他の出し子たちもそれぞれの返済計画を大岩に提示して事件は終わった。

（五）

　大岩の事件から五年の歳月が経とうとしていた。由人が最初に犯罪を実行するための目的としていたインターネットへの警鐘を鳴らすということはできなかった。そんな尊大な事が、それほど大きくない事件で反響を得ることはないという事であった。

　インターネットで収益を上げている会社も、今の構造で金を儲けることができてしまっているために、広告収入、手数料という構図を変えることはしなかった。

先進的な物であり、過去にとらわれないと言いつつも、金銭に関する手段を変えることまでは面倒と思えたのか、それとも新たな方法が出てこないからなのかはわからないが、革新的な事をする人間は現れなかった。

　ＳＮＳなどにおいては、一部の人間たちが自己情報漏洩を気にしながら使用していたが、新たに参加してくる知識の浅い未成年のような未熟な世代は、同じように情報を自ら漏洩し続けるために、変わることはなく、未だに大小の犯罪が起こっていた。

　また一部の海外の企業が作った情報端末やアプリでは、定期的に情報が抜かれていたが、未だに日本はその点に関しては後進国のようで、法の整備や、ウイルスなどに対応するための個人の意識は少なかった。政府の弱腰外交もそれに手を貸しているということは、言うまでもなかったかもしれない。

「どうだ、儲かっているか」

　由人は一軒の古着屋へと足を踏み入れた。その顔は、以前の犯罪をしていた時のように無表情なものではなかった。

「何だ、久しぶりだな」

　カウンターへと座ってパソコン画面に写しだされるニュースを見ていた徳夫は由人の顔を見るなり、立ち上がった。そして近づいて握手を求めた。由人はその手をがっちりと握った。

「そんなに儲かる訳じゃないけど、雇われていた時よりは気楽でいいよ」

　確かに徳夫の表情は勤め人をしている時よりも晴れやかに感じられた。

「そうか、でも開業してもう何年になる」

「もうすぐ三年かな」

「三年か、早いものだな」

「大岩への返済はどうなってる」

「少しずつだけど返しているよ。金利がつかない融資だと思えば、大したもんじゃないよ。あと少しで返済も終わるしな」

　以前とは異なり、自ら店をはじめたせいか徳夫には経済感覚ができあがっていた。

　不起訴になった後、由人は徳夫と共に、田舎にある先祖の墓参りに行った。山の奥にある墓には、お盆などの時期でない限り、ほとんど人が来ることはなかった。

　その墓を二人で動かすと、そこには大岩から盗んだ金を現金化した三八〇〇万円が鞄と共に入っていた。

　それを二人で山分けをした。分前は由人が二四〇〇万円、徳夫が一四〇〇万円であった。それは猛が捕まった後、この墓に現金を隠しに来た時に決めた分前の金額であった。

　徳夫はその一四〇〇万円を運用して古着屋をはじめたのであった。親から借りた三〇〇万円は、大岩への返済の後に返すという話であったために、開業資金として一四〇〇万円は潤沢と言えた。

「そういえば猛の事は知っているか」

　徳夫が不意に、大岩の事件以来会うことのなかった男の名前を口にした。

「猛に何かあったのか」

　由人がわかっているのは、強制性交罪で捕まった後、執行猶予付きの判決になった所までであった。

「執行猶予中に、何回かここに顔を出した事があったんだ。あの強姦の後、あいつは工場などの期間労働をしていたんだ。

　たまに愚痴を言いに来たりしていたよ」

　徳夫は猛が来ることを、少しだけ疎ましく思っていた。たまに自分たちと行った事件の事を、他の客がいる時に口走りそうになったりしたためであった。

「そうか、詐欺グループからは抜けたんだ」

「割に合わないって言っていたよ。しかも抜けるのに金を払えって言われたらしく、けっこう辛い時期もあったらしい」

「確かにな、ただ大岩の時は殆ど貰った金額を返済しただけだから、それほど痛手ではなかったのだろうけどな。

　で、今は何をしているんだ」

 自らが巻き込んだ猛であったが、由人は別段悪いという意識はなかった。猛は猛で楽しんだし、元々犯罪などをしていた人間であるという割り切りも手伝っていたのだろう。

　由人の言葉を聞いて、徳夫は一度ため息をついてカウンターに寄りかかるようにして言った。

「またやったらしい」

「またって、結局は詐欺か…」

　懲りない奴だな、そんな表情を浮かべる由人に対して首を左右にニ、三度振り徳夫は答えた。

「いや婦女暴行だ。結局俺たちは、あいつの性欲に、抵抗する女じゃなきゃという感覚を植えつけただけなのかもしれないな」

　少しは自分たちにも非があるのかもしれない…そんな表情の徳夫であった。しかし由人はそんな考えはなかった。

「いや、あいつ自体が結局はそうだったんだろう。早かれ遅かれあいつはああなっていたんだと思うよ。

　結局は、どんな影響を受けていようと、自分自身がそれを回避する手段を持っていたら回避できたはずだ」

　少しだけ冷たい眼光を由人は見せた。

「依存症になっていたら」

　変わらずに淡々と自らの考えを話す由人に対して、徳夫は逃げ道のような言葉を返した。

「それだって早く気付くか、もしくは周りに指摘してくれる人がいれば病院に行くことだってできる」

「由人は相変わらず厳しいな」

「結局、人何てものはそんなものだろう」

　由人の表情が一瞬なくなった。その時にふと、犯罪を実行していた頃の記憶が徳夫の頭に蘇った。

「俺達は、自分たちの手で今の状況を築いたんだ。最終的には自分で何かをしない限りは、大きな力に巻き込まれて、踊らされることしかなできない人間が大勢居るってことだ…」

　由人は、自らを含めて諫めるように言った。その表情は少しだけ悲しい顔に見えなくもなかった。自分たちの手で今の現状を築いたとはいえ、それは成功法ではなかったからであろう。

「自分の手でか…。

　そう言えば由人の本はそれなりに売れているらしいな」

「ああ、そのうち第二弾を出す予定だ」

　由人は、相変わらずアプリやゲーム開発の仕事をする傍ら、犯罪抑止に関する本を執筆していた。

　はじめに出した本は三年前…犯罪者がＳＮＳなどのどのような部分を見て、どのように犯罪を考えていくかなど、警鐘する本であった。

　自分たちが悪いことをした意識は、いつまでもついて回る。だが起訴されなかったという事で、犯罪歴はつかなかった。本を出版する上で、障害は何もなかったのだ。

「ネットがある利便性、その上での危険性…それを俺は変わらずに世に知らせていきたいと思う」

　由人は再び無表情になった。

　自分の事は棚に上げて、他人を批判する。しかしながら由人はそれで良いと思っていた。力とは、腕力のみならず、経済力にまで及ぶ。その上で、自分がのし上がろうとする。もしくはできるかかどうか、単純にはそれだけだと考えていた。

　由人の冷たい感覚は、生い立ちの問題なのか、それともコンピューター業界にいたからなのか、それは徳夫には理解できなかった。

　ただ少なからず、どこかで世の中に対して、考えていることがあるのだろう。そう考えることが徳夫に取って、唯一の友達付き合いを継続する理由になっていたのだろう。

　どこまでが正しく、どこからが悪いという基準が曖昧な中、人は自分らしく、自分の能力のできる中で生きていかなければならない。

　少なからず後ろめたさがある中で、徳夫はこれからの人生を、今度は成功法で生きていきたいと考えていた。

（終）