| 第７章 プロテスト（四） 昔、リングは少し柔らかく感じられたのだが、そうは思わなかった。 レフリーに呼ばれて、中央で色々な説明を言われる。相手は少しだけ私よりも 高い。実際、ジムの中でスパーリングをやっている選手でもっと大きい相手がい るだけに違和感はない。 「カン」乾いたゴングの音が観客のいない静寂の後楽園ホールに鳴った。 一度目のテストの時には、手数が少なかったから不合格だった。そんな経験を 考えると、まずは手数を出すことだけを頭に描いた。ワンツー、あわよくばスリ ーまでのパンチを繰り出す。なるべく相手のパンチを避けることを心がけるのだ が、自分が前に出て行くとどうしても防御がおろそかになる。それでもかまわず に手を出した。パンチが効くことはなかった。１４オンスの大きなグローブのせ いもあってか、相手がパンチがないからかそう思えた。連続で左ジャブを出すと 気持ち良くそれが当たる。相打ちのようなジャブの打ち合いでも、相手が後ろに 飛ぶことがあっても、自分の体勢が崩れることはなかった。スタミナ不足と会長 に言われている私がどのようにして、それを克服するかなどスパーリング中に考 えている暇はない。けれども今日はそれほど、感覚的な疲れはない。 相手の鼻から、赤い液体が流れる。またしてもジャブがヒットする。続いて出 すストレートが数発、浅い感じはするがヒットする。ロープに相手を押し込んだ ところで、再び静寂の中に重たい金属音が響く。 自分がリングに上がる前に、紙が数枚、リングのエプロンに置かれていた。そ れが何か、そのときわかった。レフリーがその中の一枚を取って、相手の鼻血を 拭きにいった。そう、それはトイレットペーパーを丸めたものであった。 レフリーはその後、私のへと来て頭を下げすぎないようにと注意した。 左ジャブから右ボディー・ストレートを打つときに下がる頭の注意だった。け れども、そのパンチをやめる気はなかった。 ２ラウンドにもそのパンチが決まっていく。右のボディーはあまり効く気はし ないが、効果的である。インターバルにリング下にいる会長から、３発目の返し を打てと言われていたが、頭ではわかっていながらもそのパンチが出ない。 右のパンチが当たり、やっと返しの左フックが相手の顔面を捉える。いい感じ になってきた。そう思っているところへ、相手のボディーブローが突き刺さる。 痛みよりも厄介なイメージの方が強い。３発目にもらったボディーが少し効いた。 しかし、私は手を出しつづけた。 「ごつん」鈍い音がして、思わず私は自分の目を抑えた。バッティングである。 レフリーが二人を分けた。「大丈夫か？」「大丈夫です」時間をとめたことを少 しばかり後悔した。それほどではなかったから、そのまま続ければ良かったのか もしれない。続行、相手の左フックが顔面をとらえる、負けじと左ジャブを突き ながら応戦する。打ち合いが始まった。スタミナのロスなのか、手は出るのだが 威力が無くなりかけた。そんな時に、終了を告げる合図が…。 「最後にスタミナ切れたからなぁ」という会長の言葉が、脳裏に残ったスパーリ ングだった。 まあ、やるだけの事はやった。後は、明日の結果を待つだけであった。 |